<   2017年 07月 ( 29 )   > この月の画像一覧

自然農畑 / 7月下旬


d0366590_13552106.jpg


d0366590_13552203.jpg


d0366590_13552215.jpg


d0366590_13552324.jpg


d0366590_13552328.jpg


d0366590_13564126.jpg


d0366590_13564152.jpg


d0366590_13572083.jpg


d0366590_13572096.jpg


d0366590_13572038.jpg


d0366590_13572104.jpg


d0366590_13572101.jpg


d0366590_13572113.jpg

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-31 14:01 | 自然農

今日は死ぬのにもってこいの日 / ナンシー・ウッド


d0366590_06363634.jpg


私は世界の進歩よりも
一匹のアリの旅行に
もっと深い意味を見た。
世界の進歩なんてものは
今やスタートラインのはるか後方へ落伍している。

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-31 08:25 | 言葉

夕方の空


d0366590_08192239.jpg

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-31 08:20 | 瞑想

虚無という闇を超えて



[PR]
by yamanomajo | 2017-07-29 07:30 | 記事

風の知恵 / デニス・バンクス


d0366590_10575536.jpg


私たちや、私たちを取り巻く環境は皆、自然の一部である。
すべてが命のつながりの中で生きていて、互いが互いを必要としている。
環境を大事にすることは、自分自身を大事にすることなのだ。

鷲やビーバーは、幾千年間同じ形で生をつないでいる。
七世代先の人々のことを考え、自分たちが受け継いだ生き方を子供たちに伝えよう。 

滝の音や燃える火に心を傾けること。
幼い子供に話しかけること。
草木の生命に思いを馳せること。
それらは偉大な精霊と交わることである。

私たちを含めて、すべてが地球の住人なのだ。
空気、太陽、火、水、土―すべては所有することができない。

偉大な精霊を、どうやって所有できるというのだろう。
火は、私たちが生きていくうえで欠かせないものである。
火は暖かさを与えてくれるだけでなく、生きる指針も与えてくれる。
火と対話しよう。

水や雨を大切にしよう。
水は私たちの考えを浄化してくれる。
雨は空気を浄化して、地の渇きをいやしてくれる。
私たちは水や雨なしでは生きられない。

地球にあるものは皆、それぞれ存在する意味と役割をもつ。

自然の音に耳を澄ませば、自然は私たちに色々なことを教えてくれる。

鳥の鳴き声に耳を澄ませば、自分の心がわかってくる。

魚の泳ぎに目を向ければ、自分自身の答えが見つかる。

花には生命を絶やさないようにするという役割がある。

花の美しさや色にもそれぞれの役割がある。

目標に向かう私たちに力を与えてくれ、未来への夢を広げてくれるのである。
目がないから見えないとは限らない。
耳がないから聞こえないとは限らない。
鳥、魚、花、木、すべてが私たちの話を聞いている。

彼らに向かって心を込めて話すこと。

寒い冬の日に、木々が話をするのが聞こえてくる。
私たちや、私たちの未来について話している。
いつでも木々を敬うこと。

木の枝がなければ花は咲かない。
木があってこそ森になり、その美しさも生まれるのだ。
なぜ木を倒したり、森を破壊したりするのだろう。

木は私たちに生命の息吹を与えてくれる。

鷲、鹿、ビーバー、すべてが自分たちの流儀で生きている。
それぞれがビジョンを持っている。
肝心なのは、他人をまねることなく自分自身のビジョンを持つことだ。

夢は私たちにストーリーを語り、ビジョンの源を与えてくれる。
私たちが得たビジョンは、また他の人の夢となる。
人々に良い夢を見せてあげることだ。

ひとりひとりの画家は夢をもっている。
一枚の絵には、何かが隠されている。
画家の語りかけに耳を傾け、自分たちと結びつきのある話を聞こう。

太鼓の音や人々の歌は、私たちの心臓の音だ。
私たちの心臓の音は、いつでも宇宙の鼓動を映している。
歌を歌いたくなくなったり、太鼓を打ちたくなくなれば、
誰も私たちの鼓動に耳を澄まさなくなるだろう。

知恵の種は、私たちの中心にある。
自分自身の中心に、汚れのない思考とよい水を与えること。
そうすれば、閉じた中心が開いてきて、知恵の実を結ぶことだろう。

私たちの未来は過去にある。
時は流れているのだから。

日々くりかえす行いこそが生活であり、文化を伝えることである。

一日一日を生きていくことが、生きる目的なのだ。
日が暮れてしまったら生きる目的を失う、というわけではない。

年を重ねてから、幼いころのことや仲間のことを思い返す。
眼にも胸にも涙が浮かんでくる。

そんな時、人は幸せを感じ、その尊さを知る。

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-28 11:04 | 言葉

生の全体性 / J.クリシュナムルティ


d0366590_07533053.jpg


死はやって来る。そして、その死と言い争うことはできない。「もう少し待ってください」と言うことはできない。死はそこにある。それがやって来るとき、精神は、自分が生き、活力やエネルギーに満ち、生命に満ちていながら、あらゆるものの終焉を迎えることができるだろうか? 人生が葛藤や心配に浪費されていないときには、人はエネルギーや明晰さに満ちている。ここで言う死とは、人が知っているものすべての終焉を意味する。自分の執着、自分の銀行預金、自分の達成したものすべての終焉を意味する。そこには完全なる終焉がある。精神は、生きていながら、なおかつそういう状態に直面することができるだろうか? そうなったら、人は死とは何かという意味のすべてを理解するだろう。

もし<私>という観念にしがみついていたら、すなわち存続しなければならないと信じている<私>、そのなかに高次の意識、至高の意識が存在すると信じている<私>をも含めて、思考によって組み合わされた<私>という観念にしがみついていたら、そのときには、人は生における死とは何かを理解することはできない。

思考は、既知なるもののなかに生きている。それは<既知>の産物である。<既知>からの自由がなければ、とうてい死とは何かを見出すことはできない。その<死>とは、肉体のもつあらゆる根深い習慣やその他すべてのものの終焉、体や名前やその肉体が得たあらゆる記憶をほんとうの自分だと思い込んでしまうことからの決別である。肉体的に死ぬときには、そのすべてを持ち越すことはできない。自分の財産のすべてをそこへ持っていくことはできない。だから、同じ意味で、自分の知っているすべてを、生において終わらせなければならない。ということは、自分はまったく単独であるということである。孤独(ロンリネス)ではなく、単独(アロンネス)である。それは完全に“全体”となった境地にほかならない。

単独(アローン alone) とは全一(オールワン all one)を意味する。

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-24 20:15 | 言葉

命の形


d0366590_11261792.jpg

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-24 11:29 |

レイム・ディアー / リチャード・アードス


d0366590_06335076.jpg


五十年前、百年前となんら変わらない昔ふうの生き方を、あえて今でも私はしている。自分にはそれが気に入っている。なるべくつつましやかに、可能なかぎり地球に近いところで生きたいと、私は望んでいる。私は植物の側にいたい。自分がメディスンとして用いている草や花のすぐ近くで生きていたいのだ。グレイトスピリットが絶えず面倒を見てくださっているおかげで、そうやって昔のような生活をしても生き抜くことができるし、その気になればどんな生き方でも可能なのだ。だからこそ私は女房とふたりで、電気もない、水道もない、排水施設もない、道もないような、ないないづくしの山奥の小さな山小屋に暮らしている。これはわれわれ夫婦が望んだことだ。われわれの暮らしている質素なログ・キャビンには、なによりも平和がある。われわれ夫婦は、そういう平和のなかで残りの人生をまっとうしたいと考えている。現代の世界から完全に切り離されたところにいたいのだ。今のようなところともおさらばして、もっともっと山の奥に入り込み、そこでど田舎の暮らしをするのも悪くない。そこで、一層自然に近い形で生活するのだ。

野に咲く花々、清らかな水の流れ、青々とした松や杉、こうしたものはみな偉大なる精霊グレイトスピリットによって創られ、そのあつい庇護を受けている。彼はそうしたところへと優しい風を送り、そのことでそれらに生命の呼吸をさせ、それらに水を授け、それらを育む。たとえそれが険しい山であれ、はたまた岩の塊であれ、彼は同じようにお守りくださる。彼が私に目をかけてくださっているおかげで、私は水を与えられ、食べものを与えられ、植物や動物と共に、自らもそのなかのひとつとして、こうやって生きることができるのだ。私はひとりのインディアンとして、自分の人生に残されたすべての日々を、このまま送っていきたい。

しかし私は、このままどこかに閉じ籠って誰とも会いたくないと言っているのではない。今のままでも、どういうわけかたくさんの人が自分で道を見つけて私の山小屋を訪れてくる。私にはこういうやり方が気に入っている。あくまでも私は人々と心が通じ合えるところにはいたいのだ。いろいろなところの人たちと手をつなぎたい。そうやってたとえわずかでも、私たちインディアンの道を、スピリットの道を、その人たちに伝えたい。

だが、と同時に、面倒くさいことから一切足を洗って、さらに山の奥へ、奥へと分け入って、さながら大昔の人たちのように生きてみたいと思わないわけでもない。この期に及んでもなお、私は自分の住み処をもっと山奥に移すつもりでいたりする。そのときには山小屋なんてものすらもういらないかもしれない。こっちが森の一部になればよいのだ。そこには誰の目にも触れたことがないような薬草や、泉や、花、それも非常に小さな花がある。そんな小さな花にじっと見つめられていたら、その花のことを考えているだけで時間なんてあっというまに過ぎていってしまうだろう。花は花でも、人間に手を加えられた黄色や赤の大きな薔薇ではそうはいかない。聞くところによれば最近では黒い薔薇なんてものまで連中の手で作られているらしいが、なにを馬鹿なことをするものではないか。そんなものはすこしも自然ではない。むしろそうしたものは自然に背いている。私はそういう連中が大嫌いだ。

だから年を重ねるごとに、私は自分の隠れ家を奥へ奥へと移す。そうやって山また山のなかにどんどん入っていく。山々はグレイトスピリットがわれわれのために、私のために、創りたもうた土地なのだ。その山々とひとつになり、そこに溶け込んで、徐々に姿を消し、しまいにはすっかりそのなかに消えてしまう。私が望んでいることはそれである。自然のすべてが自分のなかにあり、そしてすべての自然のなかにわずかずつ自分が存在しているのだ。そしてそれこそが本来あるべき姿なのだ。

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-23 07:18 | 言葉

自然農畑 / 7月中旬


d0366590_06092986.jpg


d0366590_06151608.jpg


d0366590_06151603.jpg


d0366590_06152345.jpg


d0366590_06145909.jpg


d0366590_06191264.jpg


d0366590_06184604.jpg


d0366590_06191241.jpg


d0366590_06175539.jpg


d0366590_06222859.jpg


d0366590_06262932.jpg


d0366590_06144027.jpg


d0366590_06231254.jpg


d0366590_06231355.jpg


d0366590_06231308.jpg


d0366590_06263533.jpg

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-19 06:48 | 自然農

陽射し


d0366590_20225853.jpg

[PR]
by yamanomajo | 2017-07-19 05:53 | 瞑想

孤独、自然、瞑想、哲学、生命。


by 三浦花心
プロフィールを見る
画像一覧