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「聴く」という奇跡



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by yamanomajo | 2017-08-17 09:55 | 記事

魔女 第2集 / 五十嵐大介


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耳を澄ませば
鼓膜が音の振動を受けとめるように、
全身を澄ましたとき、
目や腕や内臓全部。
「想い」や「心」が受けとめるの。
世界のうたう「うた」を。

マラソンのランナーはね、
自分の体と対話しながら走るんだ。
筋肉の収縮と弛緩の摩擦。
ふみしめる大地の密度。
呼吸の温度。
風の湿度。
全てのハーモニーが美しく響き合うように。
うたうように走る。

水泳の選手も、
畑で美しい野菜をつくる人も。
みんな、世界のうたを感じてるのよ。
自分もうたの一部になれるように・・・
世界に、溶け込めるように。

あたしにいわせりゃ、
世界はうたでできている。

世界はうたから生まれたのよ。

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by yamanomajo | 2017-08-13 09:26 | 言葉

雨と畑


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by yamanomajo | 2017-08-13 07:54 |

生きがいについて / 神谷美恵子 3


死というものに対して恐怖や嫌悪の感情が結びつけられているのは、人が無意識のうちに「死―回避的挙動」に熱中して生きているからで、このような防衛的態勢を一切やめ、死というものを正面から自分の生のなかに取り入れてしまえば、死は案外人間の生の友にさえなってくれるものらしい。

まず死を前にした人がすぐ気がつくことは、自分が丸裸で、なんの支えもなく、死の前に立っている、ということである。現在の何を墓の向こうに持って行けるというのであろうか。一切の現実的なものへの執着がむなしいということに人は気づく。地位や金や名誉などはもちろんのこと、他人への愛着なども、それに固執してももはやどうにもならない。たとえまだ幼い子を残して行かなければならない母親の場合でも、幼いままその子を他人の手に渡して行かなければならないのである。であるから人は死が無理に断ち切るであろうもろもろの絆を、あらかじめ自ら心のなかで断ち切ることを学ぶ。それができれば、その瞬間に身も軽々とする。そして人々との残るわずかな共存期間は、その覚悟ゆえにいっそうその内容の豊かさを増す。

自己の生命に対する防衛的配慮が一切必要でなくなったときにこそ人は最も自由になる。もはやあらゆる虚飾は不要となり、現世で生きていくための功利的な配慮もいらなくなる。自分の本当にしたいこと、本当にしなければならないと思うことだけすればいい。そのときにこそ人は何の気がねもなく、その「生きた挙動」へ向かう。そのなかから驚くほど純粋な喜びが湧き上がりうる。

このような状態にある人の時間意識は確かに普通とは違っているようである。それは「無時間」への飛躍と言えるかもしれない。つまり死の面前で暮らしている人にとっては、時間の持つ密度が飛躍的に大きくなり、一刻一刻の重みが平生とは比較にならないほど増す。もうひとつ、死の面前で生きる人々に特徴的なことは、彼らの眼に物の見え方が変わってくるという点である。それは何よりも、自然の風物の色や形が鮮やかになり、その輝きが増す、という世界相貌の変化としてあらわれる。

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by yamanomajo | 2017-08-11 21:15 | 言葉

稲は唱う


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by yamanomajo | 2017-08-10 18:51 | 瞑想

蓄音機 / 金子みすゞ


「蓄音機」

大人はきっとおもっているよ、
子供はものをかんがえないと。

だから私が私の舟で、
やっとみつけたちいさな島の、
お城の門をくぐったとこで、
大人はいきなり蓄音機をかける。

私はそれを、きかないように、
話のあとをつづけるけれど、
唄はこっそりはいって来ては、
島もお城もぬすんでしまう。

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by yamanomajo | 2017-08-10 12:16 |

自然農畑 / 7月下旬~8月上旬


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by yamanomajo | 2017-08-07 13:50 | 自然農

夏と田園


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by yamanomajo | 2017-08-07 13:36 | 瞑想

チベット 永遠の書 / テオドール・イリオン


人は、若さを保とうと努力する瞬間に歳をとる。何かを自分のものにしておこうと努めるその瞬間に、人はそれを失うことを恐れる。人が何をしようと食べようと、その恐れが人を毒する。恐怖心こそ、人の若さを蝕む元凶なのだ。

あなたはある修行をしたからといって若さを保てるわけではない。若さを保つために何を食べようと行おうと、心が老けていれば体の老いはすぐに始まるものだ。

では、若さとは何だろうか?それは偏見から自由でいること、習慣的考え方、習慣的生き方から自由でいることである。自発的で、愛に富み、熱中している限り、われわれはいつまでも若いのだ。

人生は素晴らしい。人生は輝かしいものだ。めまいを起こすほどの高みと、おぞましいほどの奈落の底との間を人は常に選べる。何事も相対的であり、確定したものは何もない。これを悟るなら、あなたは少年のような心で生きることができるだろう。子供のような心をもって生きるときのみ、人生は生きるに値するものとなるのだ。そうすれば、多くの事柄を知っても優越感を感じなくなる。

結局、とても簡単なことなのだよ。愛することだ。深く、深く愛することだ。そして、愛が自己中心性という毒から自由になっていれば、それだけ深く理解することになるから、あなたは人に対して優越感をもったりしなくなる。真の愛が理解を呼べば、この理解が“霊的傲慢”という恐るべき落とし穴から人を救うのだ。

実在、真理、生命、神、永遠、全てを包み覆う愛―これらはみな、同じ一つのものだよ。真理をみつけることは君にはできない。なぜなら、私的真理を掴んだ瞬間に、それはすでに真理ではなくなっているからだ。われわれは生きている限り、探求し続けなくてはならない。人生が決まり切ったものであれば、そこに何の意味があるだろう?人は人生に揺すぶられれば揺すぶられるほどよいのだ。決して満足に陥ってはいけない。特に自分自身に対して。

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by yamanomajo | 2017-08-07 13:26 | 言葉

孤独、自然、瞑想、哲学、生命。


by 三浦花心
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