自然農畑 / 7月上旬 2


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# by yamanomajo | 2017-07-15 08:07 | 自然農

妙なる畑に立ちて / 川口由一


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汚され 損なわれ 病み続ける地球が
地球上のあらゆる生命(いのち)達が
そうして私たち人間が これ以上に
生命衰えさせていくことなく
浄化を盛んとして 生命寿(ひさ)しく
美しい姿して巡り続けてくれますように

迷いの中の私たち人間が
真の知恵に目覚め
優れた能力よく働かせ
崇高な精神忘れることなく
清くして 心平和に 楽しく
美しい姿して巡りつづけること出来ますように

この一書が
天の道 地の道 人の道を見失い
宇宙自然の道 生命の道からはずれ
神仏の親心忘れつつある
私たち人間の足元を照らす
働きしてくれますように・・・

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# by yamanomajo | 2017-07-14 20:02 | 自然農

阿弥陀堂だより / 南木佳士


目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、
春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗尾を植え、水をやり、
そういうふうに目先のことばかり考えていたら、知らぬ間に96歳になっていました。
目先のことしか見えなかったので、
よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。
それが長寿の秘訣かもしれません。

畑には何でも植えてあります。
ナス、インゲン、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ・・・。
そのとき体が欲しがるものを好きなように食べてきました。
質素なものばかり食べていたのが長寿につながったとしたら、
それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。

雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも白一色になります。
山の奥にある御先祖様達の住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、
どちらがどちらだかわからなくなるのが冬です。

春、夏、秋、冬。
はっきりしていた山と里の境が少しずつ消えてゆき、一年がめぐります。
人の一生と同じなのだと、この歳にしてしみじみ気づきました。
お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。
迎え火を焚いてお迎えし 眠くなるまでお話しをします。
話しているうちに 自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分らなくなります。
もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。
恐くはありません。
夢のようで このまま醒めなければいいと思ったりします。

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# by yamanomajo | 2017-07-14 14:41 | 言葉

森の生活 / ヘンリー・D・ソロー 2


一日中あたりに気をくばり、夜になるとしぶしぶお祈りを唱えて、あやふやなものに身をゆだねる。こうしてわれわれは、自分の生活を後生大事に扱い、変革の可能性を否定しながら、徹頭徹尾追いつめられて生きなくてはならない。これがただひとつの生き方だ、というわけだ。

ところがじつは、ひとつの中心点からいくらでも半径が引けるように、生き方はいくらでもあるのである。あらゆる変革は奇跡と考えることができる。しかもそれは、不断に生起しつつある奇跡である。

・・・

実在が架空のものとされる一方で、虚偽と妄想が確固たる真理としてもてはやされている。もし人間が実在の世界だけをしっかりと観察し、迷妄に陥らないようにすれば、人生は─―われわれが知っているものに例えると─―おとぎ話やアラビアンナイトのようになるだろう。必然的なもの、存在する権利のあるものだけを尊重するなら、詩と音楽が通りに鳴り響くだろう。急がず賢明に生きてゆけば、偉大な、価値あるものだけが永遠の絶対的存在であり、卑小な不安や快楽は、実在の影にすぎないことをわれわれは知るだろう。実在するものは常に心楽しく、崇高である。だが、人々は目を閉じて眠りこけ、甘んじて外見に惑わされているために、あらゆるところで型にはまった因習的な日常生活を打ち建て、固定させている。そうした生活は、やはり純然たる幻想を基盤としているのだ。

遊ぶことが生きることにほかならない子供たちは、人生の真の法則や、それとの関わり方を大人よりもよく知っている。ところが大人のほうは、生きるに価する人生を送ることができないくせに、経験――つまり失敗――によって子供たちよりも賢くなったと思い込んでいるのである。

・・・

思うに、われわれが現にこれほどくだらない生活を送っているのは、ものごとの表面をつらぬく洞察力を欠いているからである。われわれは存在するように“見える”ものを、“存在する”ものと思い込んでいる。ある人間がこの町を通り抜けて、実在の姿だけを見るとしたら、コンコードの中心にある「ミル・ダム商店街」などはどこへ消えてしまうことやら。教会、裁判所、刑務所、商店、住宅などを見かけたら、徹底的に凝視することによってどんな正体があらわれるか、口に出して言ってみるとよい。話しているあいだに、それらすべてはこなごなに砕けてしまうだろう。

人々は真理が、太陽系のはずれとか、いちばん遠い星のむこうといった、はるか彼方に存在するか、アダム以前なり、最後の人間のあとに存在すると考えている。永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。神自身もいまこの瞬間、栄光の頂点に達している。あらゆる時代が通り過ぎてゆくあいだも、神がいまほど神聖なときはふたたびめぐってこないだろう。したがってわれわれは、自分をとりまく実在の世界をたえず内部に浸透させ、そこに身を浸すことによってのみ、崇高にして気高いものを理解することができるのである。

・・・

じっくりと腰を据え、意見、偏見、伝統、妄想、外見といった泥沼、それに教会や州はもとより、詩や哲学や宗教に至るまで遠慮なく突き破り、ついに足が“実在”と呼ばれる堅い岩盤にうまく届いたら、これだ、間違いない、と言おうではないか。生であろうと死であろうと、われわれが求めるものは実在だけである。もしわれわれが本当に死にかけているのなら、喉がぜいぜい鳴る音を聞き、手足の先が冷たくなるのを感じ取ろうではないか。もし生きているのなら、なすべき仕事に取りかかろう。

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# by yamanomajo | 2017-07-13 07:42 | 言葉

自然の言葉 / タフカ・ウシュテ


私はたくさんの草木を調べたが、一本の草の葉でも、一本の茎の葉でさえ一つとして同じものはなかった。地上にはきっかり同じかたちの葉は二つとない。「大いなる精霊」はそのようであることがお好きなのである。地上の生物は大まかには一つのデザインに従ってつくることがお好みであって、そのおかげがあるから、生命のとおる道筋を辿ることができるのである。この道筋を辿ることによって、生物はどこに行くのか、どういう目標をめざすかを示すいっぽう、目標に至る経路のほうは自由に選べるようにしてある。生物たちがその本性に従い、その持ち前の衝動に従って行動することを精霊は望んでおられる。

ワカン・タンカは、草木も鳥獣も、もっとも見栄えのしないネズミ、シラミのたぐいに至るまで、そうあるべきように望みたもうているとすれば、まして、人間が、同じ仕事をし、同じ時間に起き、同じ型の既製服を着て、同じ地下鉄で移動し、同じ時計に眼をやり、そしてこれが最低のことだが、一日中おおむね同じことを考えていなければならないのだろうか。

すべての生物はその存在理由を持っている。一匹のアリでさえその存在理由があって、アリはアリなりの仕方でそれを知っている。まあ、脳を使って知っているのではないかもしれないが。ただ人間だけがなぜ自分が存在しているのかがわからなくなる地点まで達したのである。人間は、もはやその脳を自分の役に立てておらず、自分の身体の、感覚の、夢の内密の知を忘れている。人間は、精神が人間の中に蓄えておいた知識を活用しておらず、そのことを意識さえしていない。人間は目をつぶったままで、どこにも行き着かない道を前進している。広い砕石道を、技師たちが機械で砕いてさらに滑らかにして、人間を飲み込もうと無の穴が待っている、そのはてに向かって進んでいる。

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# by yamanomajo | 2017-07-12 15:21 | 言葉

夕刻


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# by yamanomajo | 2017-07-12 15:19 | 瞑想

子供たちとの対話 考えてごらん / J.クリシュナムルティ 5


心は模倣をやめられますか。
つまり、習慣を形作ることをやめられますか。
そして、心は囚われている習慣から自由になれるでしょうか。

君の心は、習慣と習慣を生み出すことから自由になれるでしょうか。
この問題にとても深く立ち入るならば、なれることに気づくでしょう。
そして、新しい型や習慣を作らず、模倣のわだちに二度と陥ることなく心が新たになるとき、
それははつらつとして、若く、無垢なままなのです。
したがって、無限の理解力があるのです。
もはや蓄積の過程がないために、このような心には死がありません。

習慣や模倣を生み出すのは蓄積の過程です。
そして、蓄積する心には、衰退と死があります。
しかし、蓄積しておらず、蓄えていない、毎日刻々と死んでいる心―
そのような心には死がありません。
それは無限の空間の状態にあるのです。

それで、心は蓄えてきたすべてのもの―すべての習慣、模倣した美徳、
安心を得るために頼ってきたすべてのものに対して、死ななくてはなりません。
そのときには、もはや自分の思考の網に囚われていないのです。
過去に対して刻々と死ぬとき、心ははつらつとします。
したがって、決して衰退したり、闇のうねりを作動させることがないのです。

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# by yamanomajo | 2017-07-10 08:31 | 言葉

荘子 内篇 / 荘子


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むかしの真人は、生を喜ぶということを知らないし、
死を憎むということも知らなかった。
生まれてきたからといって嬉しがるわけではなく、
死んでいくからといって嫌がるわけでもない。
悠然として去り、悠然として来るだけである。
(どうして生まれてきたのか)その始まりを知らず、
(死んでどうなるか)その終わりを知ろうともしない。
生命を受けてはそれを楽しみ、万事を忘れてそれをもとに返上する。
こういう境地を、
「心の分別で自然の道理をゆがめることはせず、
人の賢さで自然の働きを助長することをしないもの」という。
このような人は、その心は万事を忘れ、
その姿は静寂そのもの、その額はゆたかに大きい。
ひきしまった清々しさは秋のようであり、
温かなやさしさは春のようであって、
感情の動きは四季の移りゆきのように自然である。
外界の事物の動きにつれて適切に応じ、
それがいつまでも果てしなく続いてゆくのだ。

・・・

死があり生があるのは、運命である。
あの夜と朝との決まりがあるのは、自然である。
そのように人間の力ではどうすることもできない点があるのが、
すべての万物の真相である。

生と死はこのようにひとつづきのものだから、
自分の生を善しと認めることは、
つまりは自分の死をも善しとしたことになる。
(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない)

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# by yamanomajo | 2017-07-07 18:04 | 言葉

子供たちとの対話 考えてごらん / J.クリシュナムルティ 4


君は、地面に落ちる木の葉が死を恐れていると考えますか。
鳥は死を恐れていると考えますか。
鳥は死が来るとき、死に出会います。
しかし、鳥は死に関心を持たないし、
生きること、昆虫を捕まえたり、巣を作ったり、歌を歌ったり、
ただ飛ぶことの喜びのために飛ぶことで、精一杯です。
彼らは死に関心がありません。
死が来るならそれでけっこう、彼らはおしまいです。
どうなっていくのかについての関心はありません。

彼らは刻々と生きているでしょう。
いつも死に関心を持っているのは、私たち人間です。
なぜなら、私たちは生きていないからです。それが悩みです。
私たちは死にかけていて、生きていないのです。
年寄りは墓に近いですが、若者もそんなに後のことではありません。

私たちは知っているものや、蓄えたものを失うのを恐れているから、
こうして死の心配をしていますね。
私たちは妻や夫、子供や友人を失うことを恐れています。
学んだり、蓄積したものを失うことを恐れています。
もしも蓄えたすべてのもの―友だちや所有物、美徳、人格を持っていけたなら、
そのときには死を恐れないでしょう。
しかし、事実として死が終わりであるのですが、
私たちのほとんどはこの事実に向き合おうとしないのです。
知っているものから離れたくないのです。
それで、私たちに恐怖を生じさせるのは、知らないものではなくて、
知っているものにすがりつくからです。
心は知っているものからできているので、
「私はおしまいだ」と言って、そのために怯えているのです。

そこで、未来に関心を持たずに、刻々と生き、
明日についての考えもなく生きることができるなら、
―それは、単に今日のことで精一杯であるという表面的なことではありません―
知っていることの過程すべてに気づいていて、
知っていることを放棄し、完全に手放してしまうなら、
そのときには驚くべきことが起きるのに気づくでしょう。
一日でもやってごらんなさい。
知っていることをすべて片づけ、忘れてしまい、ただどうなるのかをごらんなさい。
心配を日から日へ、時から時へ、刻々と持ち越してはいけません。
すべて手放してしまいなさい。
すると、この自由から、生きることと死ぬことをともに含んだ、
とてつもない生が訪れるのがわかるでしょう。

死は何かの終わりにすぎません。
そして、まさにその死によって、新たになるのです。

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# by yamanomajo | 2017-07-06 14:42 | 言葉

子供たちとの対話 考えてごらん / J.クリシュナムルティ 3


真理は覚えておくものではなく、刻々と発見しなくてはならないものです。
覚えた真理は死んだものです。
真理は生きていて、決して同じものではないから、刻々と発見しなくてなりません。

生は刻々と、日に日に発見しなくてはなりません。
“発見”しなければならないのです。
それは決め込むことができません。
生を知っていると決め込むなら、あなたは生きていません。
一日三度の食事、衣服、住まい、セックス、仕事、娯楽、思考の過程―
このつまらない反復の過程は生ではないのです。

生は発見するものです。
そして失わなければ、見つけたものを片付けていなければ、それは発見できません。
哲学も宗教も慣習も、民族のタブーなども片付けなさい。それらは生ではないからです。
それらのものに囚われているなら、生は決して発見できないでしょう。
そして、確かに教育の機能とは、
いつのときにも生を発見できるように、あなたを助けることなのです。

知っている、と言う人は、すでに死んでいます。
しかし、「知らない」と思う人、発見し、見出している人、
結果を求めず、到達したり、“なる”という見地に立って考えていない人―
このような人は生きています。
そして、生きていることこそが真理です。

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# by yamanomajo | 2017-07-06 08:03 | 言葉

紙の中に雲が見えますか?宇宙が紡ぐ限りなき命の糸




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# by yamanomajo | 2017-07-05 11:22 | 記事

空からの贈りもの


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# by yamanomajo | 2017-07-04 11:34 |

生きがいについて / 神谷美恵子 2


苦悩をまぎらしたり、そこから逃げたりする方法はたくさんある。しかし、ただ逃げただけでは、苦悩と正面から対決したわけではないから、何も解決されたことにはならない。したがって古い生きがいは壊されたままで、新しい生きがいは見出されていない。もし新しい出発点を発見しようとするならば、やはり苦しみは徹底的に苦しむほかはないと思われる。

苦しんでいるとき、精神的エネルギーの多くは行動によって外部に発散されずに、精神の内部に逆流する傾向がある。そこにさまざまな感情や願望や思考の渦が生まれ、人はそれに目を向けさせられ、そこで自己に対面する。人間が真にものを考えるようになるのも、自己に目覚めるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行われる。これこそ苦悩の最大の意味と言えよう。この意味で「人間の意識を作るものは苦悩である」というゲーテの言葉は正しい。苦しむことによって人は初めて人間らしくなるのである。

マックス・シェラーによれば、このような場合、「人は苦悩を正しい意味で愛するに至る。それは神という彫刻家が、ある人間の生という素材に対して、のみをふるい、本来は官能の混迷の中に失われていたその素材の中から、理想の自我像を刻みあげるのである。」言い換えれば、苦しみは人格を向上させ、完成させるのに役立つという考え方である。

いずれにしても自分に課せられた苦悩を耐え忍ぶことによって、その中から何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造と言える。それは自己の心の世界を作り変え、価値体系を変革し、生活様式をまったく変えさせることさえある。人は自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、自らの苦悩の中から創り出しうるのである。知識や教養など、外から加えられたものと違って、この内面から生まれたものこそいつまでもその人のものであって、何ものにも奪われることはない。

中世紀の、あのひなびた味のする聖フランシスの『小さき花』にある通りである。「苦しみと悲しみの十字架こそわれわれの誇りうるものである。なぜなら『これこそわれらのもの』であるから。」

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# by yamanomajo | 2017-07-04 11:22 | 言葉

自然農畑 / 7月上旬


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# by yamanomajo | 2017-07-02 05:45 | 自然農

一滴の中の宇宙


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# by yamanomajo | 2017-07-01 16:43 |

孤独、自然、瞑想、哲学、生命。


by 三浦花心
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