荘子 内篇 / 荘子


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むかしの真人は、生を喜ぶということを知らないし、
死を憎むということも知らなかった。
生まれてきたからといって嬉しがるわけではなく、
死んでいくからといって嫌がるわけでもない。
悠然として去り、悠然として来るだけである。
(どうして生まれてきたのか)その始まりを知らず、
(死んでどうなるか)その終わりを知ろうともしない。
生命を受けてはそれを楽しみ、万事を忘れてそれをもとに返上する。
こういう境地を、
「心の分別で自然の道理をゆがめることはせず、
人の賢さで自然の働きを助長することをしないもの」という。
このような人は、その心は万事を忘れ、
その姿は静寂そのもの、その額はゆたかに大きい。
ひきしまった清々しさは秋のようであり、
温かなやさしさは春のようであって、
感情の動きは四季の移りゆきのように自然である。
外界の事物の動きにつれて適切に応じ、
それがいつまでも果てしなく続いてゆくのだ。

・・・

死があり生があるのは、運命である。
あの夜と朝との決まりがあるのは、自然である。
そのように人間の力ではどうすることもできない点があるのが、
すべての万物の真相である。

生と死はこのようにひとつづきのものだから、
自分の生を善しと認めることは、
つまりは自分の死をも善しとしたことになる。
(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない)

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# by yamanomajo | 2017-07-07 18:04 | 言葉

子供たちとの対話 考えてごらん / J.クリシュナムルティ 4


君は、地面に落ちる木の葉が死を恐れていると考えますか。
鳥は死を恐れていると考えますか。
鳥は死が来るとき、死に出会います。
しかし、鳥は死に関心を持たないし、
生きること、昆虫を捕まえたり、巣を作ったり、歌を歌ったり、
ただ飛ぶことの喜びのために飛ぶことで、精一杯です。
彼らは死に関心がありません。
死が来るならそれでけっこう、彼らはおしまいです。
どうなっていくのかについての関心はありません。

彼らは刻々と生きているでしょう。
いつも死に関心を持っているのは、私たち人間です。
なぜなら、私たちは生きていないからです。それが悩みです。
私たちは死にかけていて、生きていないのです。
年寄りは墓に近いですが、若者もそんなに後のことではありません。

私たちは知っているものや、蓄えたものを失うのを恐れているから、
こうして死の心配をしていますね。
私たちは妻や夫、子供や友人を失うことを恐れています。
学んだり、蓄積したものを失うことを恐れています。
もしも蓄えたすべてのもの―友だちや所有物、美徳、人格を持っていけたなら、
そのときには死を恐れないでしょう。
しかし、事実として死が終わりであるのですが、
私たちのほとんどはこの事実に向き合おうとしないのです。
知っているものから離れたくないのです。
それで、私たちに恐怖を生じさせるのは、知らないものではなくて、
知っているものにすがりつくからです。
心は知っているものからできているので、
「私はおしまいだ」と言って、そのために怯えているのです。

そこで、未来に関心を持たずに、刻々と生き、
明日についての考えもなく生きることができるなら、
―それは、単に今日のことで精一杯であるという表面的なことではありません―
知っていることの過程すべてに気づいていて、
知っていることを放棄し、完全に手放してしまうなら、
そのときには驚くべきことが起きるのに気づくでしょう。
一日でもやってごらんなさい。
知っていることをすべて片づけ、忘れてしまい、ただどうなるのかをごらんなさい。
心配を日から日へ、時から時へ、刻々と持ち越してはいけません。
すべて手放してしまいなさい。
すると、この自由から、生きることと死ぬことをともに含んだ、
とてつもない生が訪れるのがわかるでしょう。

死は何かの終わりにすぎません。
そして、まさにその死によって、新たになるのです。

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# by yamanomajo | 2017-07-06 14:42 | 言葉

子供たちとの対話 考えてごらん / J.クリシュナムルティ 3


真理は覚えておくものではなく、刻々と発見しなくてはならないものです。
覚えた真理は死んだものです。
真理は生きていて、決して同じものではないから、刻々と発見しなくてなりません。

生は刻々と、日に日に発見しなくてはなりません。
“発見”しなければならないのです。
それは決め込むことができません。
生を知っていると決め込むなら、あなたは生きていません。
一日三度の食事、衣服、住まい、セックス、仕事、娯楽、思考の過程―
このつまらない反復の過程は生ではないのです。

生は発見するものです。
そして失わなければ、見つけたものを片付けていなければ、それは発見できません。
哲学も宗教も慣習も、民族のタブーなども片付けなさい。それらは生ではないからです。
それらのものに囚われているなら、生は決して発見できないでしょう。
そして、確かに教育の機能とは、
いつのときにも生を発見できるように、あなたを助けることなのです。

知っている、と言う人は、すでに死んでいます。
しかし、「知らない」と思う人、発見し、見出している人、
結果を求めず、到達したり、“なる”という見地に立って考えていない人―
このような人は生きています。
そして、生きていることこそが真理です。

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# by yamanomajo | 2017-07-06 08:03 | 言葉

紙の中に雲が見えますか?宇宙が紡ぐ限りなき命の糸




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# by yamanomajo | 2017-07-05 11:22 | 記事

空からの贈りもの


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# by yamanomajo | 2017-07-04 11:34 |

生きがいについて / 神谷美恵子 2


苦悩をまぎらしたり、そこから逃げたりする方法はたくさんある。しかし、ただ逃げただけでは、苦悩と正面から対決したわけではないから、何も解決されたことにはならない。したがって古い生きがいは壊されたままで、新しい生きがいは見出されていない。もし新しい出発点を発見しようとするならば、やはり苦しみは徹底的に苦しむほかはないと思われる。

苦しんでいるとき、精神的エネルギーの多くは行動によって外部に発散されずに、精神の内部に逆流する傾向がある。そこにさまざまな感情や願望や思考の渦が生まれ、人はそれに目を向けさせられ、そこで自己に対面する。人間が真にものを考えるようになるのも、自己に目覚めるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行われる。これこそ苦悩の最大の意味と言えよう。この意味で「人間の意識を作るものは苦悩である」というゲーテの言葉は正しい。苦しむことによって人は初めて人間らしくなるのである。

マックス・シェラーによれば、このような場合、「人は苦悩を正しい意味で愛するに至る。それは神という彫刻家が、ある人間の生という素材に対して、のみをふるい、本来は官能の混迷の中に失われていたその素材の中から、理想の自我像を刻みあげるのである。」言い換えれば、苦しみは人格を向上させ、完成させるのに役立つという考え方である。

いずれにしても自分に課せられた苦悩を耐え忍ぶことによって、その中から何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造と言える。それは自己の心の世界を作り変え、価値体系を変革し、生活様式をまったく変えさせることさえある。人は自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、自らの苦悩の中から創り出しうるのである。知識や教養など、外から加えられたものと違って、この内面から生まれたものこそいつまでもその人のものであって、何ものにも奪われることはない。

中世紀の、あのひなびた味のする聖フランシスの『小さき花』にある通りである。「苦しみと悲しみの十字架こそわれわれの誇りうるものである。なぜなら『これこそわれらのもの』であるから。」

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# by yamanomajo | 2017-07-04 11:22 | 言葉

自然農畑 / 7月上旬


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# by yamanomajo | 2017-07-02 05:45 | 自然農

一滴の中の宇宙


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# by yamanomajo | 2017-07-01 16:43 |

生き物として、忘れてはいけないこと―次代へ贈るメッセージ / コエン・エルカ 2


この大宇宙は、入り組んだ織物のようになっていて、すべてがつながっているんですよ。みんなどこかで関係し合っています。鹿も狼も、植物も宇宙の星も、みんなどこかでつながって生きているんです。何よりもそれをわかってほしいです。

大宇宙には、こちらの果てからあちらの果てまで、無数の細かい絹の糸みたいな網が張ってある。無数の縦糸と横糸。その縦糸と横糸が交わっているすべてのところに、水晶みたいな玉があって、この大宇宙に存在するものすべてのものが、その玉をもっている。砂漠のすべての砂粒一つひとつも、水の一滴一滴も、虫たちも、鳥たちも、全宇宙の存在すべて。

そして、どこからともなく光が差し込むと、そのひとつの光が同時にすべての玉に当たります。玉を受けた光は、すべての玉に反射します。また、その光を、ほかのすべての玉が受けます。ひとつの光だけでなく、すべての光を受けながら、ほかのすべての玉に反射するわけです。

この世のすべては、無数の関係のなかでつながり合って存在している、ということです。すべての中にすべてが入っているんです。自分の中に、鹿も狼もライオンも、星も植物も鳥も、すべてが入っている。お互いが、いのちを交換し合って生きているんです。存在するものすべてのエネルギーを受けながら、自分もエネルギーを出している。すべてがつながり合っているんです。

ラコタ族の言葉を借りれば、マコッチェ・ワカン(聖なる世界=自然)では、一人で独立して存在するものはひとつもありません。ある草が消えれば、その連鎖にある多くの生き物たちも困って、そして消えるのです。

たとえば、私の好きなゴマせんべい。ゴマと蜂蜜が塗ってありますが、ゴマをつくるには、この大地が必要でしょ、光が必要でしょ、雨も必要でしょ・・・と考えれば、頭がおかしくなりそうなほど、いろいろなものがかかわりあってできているんです。

本当に無数のものがかかわりあっているんですね。すべてのものに、複雑な無数の関係がある。その関係は無限に細かく、無限に広がるんです。

過去から現在にかけての無数の関係があるからこそ、自分が存在するんです。あなたがいるから、私がいるんです。

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# by yamanomajo | 2017-07-01 08:06 | 言葉

魔女 / 五十嵐大介


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“大いなる魔女”はね、大きな大きな“力”や、
ずっと昔から未来へとつながる“流れ”の呼び名なの。
わたしはその一部にすぎない。

“森”はそこに生えている木のことではなくて、
そこにあるすべての命、光や時間が形づくるものでしょう。
“そこにいる”ことに気づいたときから、
誰だってその森の一部になる。
それと同じ。

わたしは・・・ただ、気づいただけ。
あなたにもきっと見えるはずよ。

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# by yamanomajo | 2017-07-01 07:57 | 言葉

木と山の声


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# by yamanomajo | 2017-07-01 07:29 | 瞑想

子供たちとの対話 考えてごらん / J.クリシュナムルティ 2


死は実に大きな存在です。
心が恐怖から本当に自由でないかぎり、
死のとてつもない美しさと強さと生命力を理解する可能性はありません。

私が恐れているのは何でしょう。
死に怯えるとはどういう意味でしょう。
それは知っているものを、意識の内容を失うことですか。

執着、依存、取得したもの、権力、地位、不安―すべてを理解する。
それらがなくなることが本当の死なのです。
したがって意識を空にするとは、その内容により自分を限定した意識が終わるという意味です。

思考とは時間です。思考の生み出すものはすべて時間の中にあります。
それでも思考は不滅を探求しています。
思考自身の不滅と自分の作ったものの不滅を求めているのです。

人は意識を空にしないかぎり、その意識は河のように流れつづけます。
溜まって蓄積されるのです。
そして意識を見て、観察し、それを空にする人はその流れにまったく属しません。
刻々と生きて、刻々と死ぬのです。
内容が存在しないのです。
とてつもない精力の活動があるのです。

それで時間が止まります。その美しさをごらんなさい。
まさにその美しさこそが不滅です。それは思考が作ったものではありません。
したがって生きることは死ぬことです。
そして愛は本質的に死ぬことです。自我に対する死なのです。
それは性愛とか嗜好とか、思考の名づけた愛ではなく、時間に対して死ぬことです。
それで生と死と愛はひとつです。
差別なく、分離なく、時間の中にありません。
分離なく全体として生きて活動しています。そして、それが不滅です。

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# by yamanomajo | 2017-06-30 07:52 | 言葉

魔法


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# by yamanomajo | 2017-06-29 19:32 |

蜂と神さま / 金子みすゞ


「蜂と神さま」

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
 
お庭は土塀(どべい)のなかに、
土塀は町のなかに、
 
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。
 
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂のなかに。

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# by yamanomajo | 2017-06-27 18:10 |

無垢の予兆 / ウィリアム・ブレイク


To see a World in a grain of sand,
And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,
And Eternity in an hour.

一粒の砂のうちにも世界を見、
一輪の野の花のうちにも天国を見、
手のひらに無限をつかみ
一時(ひととき)のうちに永遠を持つ。

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# by yamanomajo | 2017-06-27 18:06 |

孤独、自然、瞑想、哲学、生命。


by yamanomajo
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