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生きがいについて / 神谷美恵子


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苦悩をまぎらしたり、そこから逃げたりする方法はたくさんある。しかし、ただ逃げただけでは、苦悩と正面から対決したわけではないから、何も解決されたことにはならない。したがって古い生きがいは壊されたままで、新しい生きがいは見出されていない。もし新しい出発点を発見しようとするならば、やはり苦しみは徹底的に苦しむほかはないと思われる。

苦しんでいるとき、精神的エネルギーの多くは行動によって外部に発散されずに、精神の内部に逆流する傾向がある。そこにさまざまな感情や願望や思考の渦が生まれ、人はそれに目を向けさせられ、そこで自己に対面する。人間が真にものを考えるようになるのも、自己に目覚めるのも、苦悩を通してはじめて真剣に行われる。これこそ苦悩の最大の意味と言えよう。この意味で「人間の意識を作るものは苦悩である」というゲーテの言葉は正しい。苦しむことによって人は初めて人間らしくなるのである。

マックス・シェラーによれば、このような場合、「人は苦悩を正しい意味で愛するに至る。それは神という彫刻家が、ある人間の生という素材に対して、のみをふるい、本来は官能の混迷の中に失われていたその素材の中から、理想の自我像を刻みあげるのである。」言い換えれば、苦しみは人格を向上させ、完成させるのに役立つという考え方である。

いずれにしても自分に課せられた苦悩を耐え忍ぶことによって、その中から何ごとか自己の生にとってプラスになるものをつかみ得たならば、それはまったく独自な体験で、いわば自己の創造と言える。それは自己の心の世界を作り変え、価値体系を変革し、生活様式をまったく変えさせることさえある。人は自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、自らの苦悩の中から創り出しうるのである。知識や教養など、外から加えられたものと違って、この内面から生まれたものこそいつまでもその人のものであって、何ものにも奪われることはない。

中世紀の、あのひなびた味のする聖フランシスの『小さき花』にある通りである。「苦しみと悲しみの十字架こそわれわれの誇りうるものである。なぜなら『これこそわれらのもの』であるから。」











by yamanomajo | 2017-06-18 15:51 | 言葉