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荘子 内篇 / 荘子


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むかしの真人は、生を喜ぶということを知らないし、
死を憎むということも知らなかった。
生まれてきたからといって嬉しがるわけではなく、
死んでいくからといって嫌がるわけでもない。
悠然として去り、悠然として来るだけである。
(どうして生まれてきたのか)その始まりを知らず、
(死んでどうなるか)その終わりを知ろうともしない。
生命を受けてはそれを楽しみ、万事を忘れてそれをもとに返上する。
こういう境地を、
「心の分別で自然の道理をゆがめることはせず、
人の賢さで自然の働きを助長することをしないもの」という。
このような人は、その心は万事を忘れ、
その姿は静寂そのもの、その額はゆたかに大きい。
ひきしまった清々しさは秋のようであり、
温かなやさしさは春のようであって、
感情の動きは四季の移りゆきのように自然である。
外界の事物の動きにつれて適切に応じ、
それがいつまでも果てしなく続いてゆくのだ。


死があり生があるのは、運命である。
あの夜と朝との決まりがあるのは、自然である。
そのように人間の力ではどうすることもできない点があるのが、
すべての万物の真相である。

生と死はこのようにひとつづきのものだから、
自分の生を善しと認めることは、
つまりは自分の死をも善しとしたことになる。
(生と死との分別にとらわれて死を厭うのは、正しくない)











by yamanomajo | 2017-07-07 18:04 | 言葉