自然の言葉 / タフカ・ウシュテ


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私はたくさんの草木を調べたが、一本の草の葉でも、一本の茎の葉でさえ一つとして同じものはなかった。地上にはきっかり同じかたちの葉は二つとない。「大いなる精霊」はそのようであることがお好きなのである。地上の生物は大まかには一つのデザインに従ってつくることがお好みであって、そのおかげがあるから、生命のとおる道筋を辿ることができるのである。この道筋を辿ることによって、生物はどこに行くのか、どういう目標をめざすかを示すいっぽう、目標に至る経路のほうは自由に選べるようにしてある。生物たちがその本性に従い、その持ち前の衝動に従って行動することを精霊は望んでおられる。

ワカン・タンカは、草木も鳥獣も、もっとも見栄えのしないネズミ、シラミのたぐいに至るまで、そうあるべきように望みたもうているとすれば、まして、人間が、同じ仕事をし、同じ時間に起き、同じ型の既製服を着て、同じ地下鉄で移動し、同じ時計に眼をやり、そしてこれが最低のことだが、一日中おおむね同じことを考えていなければならないのだろうか。

すべての生物はその存在理由を持っている。一匹のアリでさえその存在理由があって、アリはアリなりの仕方でそれを知っている。まあ、脳を使って知っているのではないかもしれないが。ただ人間だけがなぜ自分が存在しているのかがわからなくなる地点まで達したのである。人間は、もはやその脳を自分の役に立てておらず、自分の身体の、感覚の、夢の内密の知を忘れている。人間は、精神が人間の中に蓄えておいた知識を活用しておらず、そのことを意識さえしていない。人間は目をつぶったままで、どこにも行き着かない道を前進している。広い砕石道を、技師たちが機械で砕いてさらに滑らかにして、人間を飲み込もうと無の穴が待っている、そのはてに向かって進んでいる。

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by yamanomajo | 2017-07-12 15:21 | 言葉