レイム・ディアー ヴィジョンを求める者 / リチャード・アードス


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五十年前、百年前となんら変わらない昔ふうの生き方を、あえて今でも私はしている。自分にはそれが気に入っている。なるべくつつましやかに、可能なかぎり地球に近いところで生きたいと、私は望んでいる。私は植物の側にいたい。自分がメディスンとして用いている草や花のすぐ近くで生きていたいのだ。グレイトスピリットが絶えず面倒を見てくださっているおかげで、そうやって昔のような生活をしても生き抜くことができるし、その気になればどんな生き方でも可能なのだ。だからこそ私は女房とふたりで、電気もない、水道もない、排水施設もない、道もないような、ないないづくしの山奥の小さな山小屋に暮らしている。これはわれわれ夫婦が望んだことだ。われわれの暮らしている質素なログ・キャビンには、なによりも平和がある。われわれ夫婦は、そういう平和のなかで残りの人生をまっとうしたいと考えている。現代の世界から完全に切り離されたところにいたいのだ。今のようなところともおさらばして、もっともっと山の奥に入り込み、そこでど田舎の暮らしをするのも悪くない。そこで、一層自然に近い形で生活するのだ。

野に咲く花々、清らかな水の流れ、青々とした松や杉、こうしたものはみな偉大なる精霊グレイトスピリットによって創られ、そのあつい庇護を受けている。彼はそうしたところへと優しい風を送り、そのことでそれらに生命の呼吸をさせ、それらに水を授け、それらを育む。たとえそれが険しい山であれ、はたまた岩の塊であれ、彼は同じようにお守りくださる。彼が私に目をかけてくださっているおかげで、私は水を与えられ、食べものを与えられ、植物や動物と共に、自らもそのなかのひとつとして、こうやって生きることができるのだ。私はひとりのインディアンとして、自分の人生に残されたすべての日々を、このまま送っていきたい。

しかし私は、このままどこかに閉じ籠って誰とも会いたくないと言っているのではない。今のままでも、どういうわけかたくさんの人が自分で道を見つけて私の山小屋を訪れてくる。私にはこういうやり方が気に入っている。あくまでも私は人々と心が通じ合えるところにはいたいのだ。いろいろなところの人たちと手をつなぎたい。そうやってたとえわずかでも、私たちインディアンの道を、スピリットの道を、その人たちに伝えたい。

だが、と同時に、面倒くさいことから一切足を洗って、さらに山の奥へ、奥へと分け入って、さながら大昔の人たちのように生きてみたいと思わないわけでもない。この期に及んでもなお、私は自分の住み処をもっと山奥に移すつもりでいたりする。そのときには山小屋なんてものすらもういらないかもしれない。こっちが森の一部になればよいのだ。そこには誰の目にも触れたことがないような薬草や、泉や、花、それも非常に小さな花がある。そんな小さな花にじっと見つめられていたら、その花のことを考えているだけで時間なんてあっというまに過ぎていってしまうだろう。花は花でも、人間に手を加えられた黄色や赤の大きな薔薇ではそうはいかない。聞くところによれば最近では黒い薔薇なんてものまで連中の手で作られているらしいが、なにを馬鹿なことをするものではないか。そんなものはすこしも自然ではない。むしろそうしたものは自然に背いている。私はそういう連中が大嫌いだ。

だから年を重ねるごとに、私は自分の隠れ家を奥へ奥へと移す。そうやって山また山のなかにどんどん入っていく。山々はグレイトスピリットがわれわれのために、私のために、創りたもうた土地なのだ。その山々とひとつになり、そこに溶け込んで、徐々に姿を消し、しまいにはすっかりそのなかに消えてしまう。私が望んでいることはそれである。自然のすべてが自分のなかにあり、そしてすべての自然のなかにわずかずつ自分が存在しているのだ。そしてそれこそが本来あるべき姿なのだ。

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by yamanomajo | 2017-07-23 07:18 | 言葉