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星といのちのうた 人生のすべてが祈りでありますように

生きること、愛すること


人は、若さを保とうと努力する瞬間に歳をとる。何かを自分のものにしておこうと努めるその瞬間に、人はそれを失うことを恐れる。人が何をしようと食べようと、その恐れが人を毒する。恐怖心こそ、人の若さを蝕む元凶なのだ。

あなたはある修行をしたからといって若さを保てるわけではない。若さを保つために何を食べようと行おうと、心が老けていれば体の老いはすぐに始まるものだ。では、若さとは何だろうか? それは偏見から自由でいること、習慣的考え方、習慣的生き方から自由でいることである。自発的で、愛に富み、熱中している限り、われわれはいつまでも若いのだ。

人生のどのようなことも相対的であること、絶対的な価値は何一つないことを忘れてはならない。善あるいは悪でさえ、実際には存在していないのだ。真に善なるもの、あるいは真に悪なるものは何一つない。われわれが物事をどう扱うかにすべてはかかっているのだ。

人生は素晴らしい。人生は輝かしいものだ。めまいを起こすほどの高みと、おぞましいほどの奈落の底との間を人は常に選べる。何事も相対的であり、確定したものは何もない。これを悟るなら、あなたは少年のような心で生きることができるだろう。子供のような心をもって生きるときのみ、人生は生きるに値するものとなるのだ。そうすれば、多くの事柄を知っても優越感を感じなくなる。私は、自分が例外的な人間だとは思ってはいない。人類にただ仕えているにすぎない。私は生き、愛している。


友よ、自分が善人だと考えている人間には注意することだ。自分が善いと思い込んでいるときこそ最悪なことが多いものなのだ。

心を変えずに命だけを延ばすことは、この世に無秩序と苦しみを増やすだけにすぎない。この世の問題はすべて、人の幸せを犠牲にして自分のみの幸せを求める人間の誤った態度によって起きている。そうした問題の症状――その中には老いも含まれるが――だけを相手にしても事はいっこうによくならない。

自分自身を理解することだ。自分を理解することと較べれば、人を理解することのほうがはるかにたやすい。あることに対して偏見を強め利己的な関心を増せば増すほど、それを理解するのがますます難しくなるのだ。自分ほど客観的に判断することの難しいものはない。自分自身に完全に目覚めるように人々に語ることだ。自分自身の動機を絶えず調べ、自分自身に率直になるよう人々に語ることだ。それが自分に欠けているものを知るための第一の条件であり、理解に向けての第一歩といえるだろう。

結局、とても簡単なことなのだよ。愛することだ。深く、深く愛することだ。そして、愛が自己中心性という毒から自由になっていれば、それだけ深く理解することになるから、あなたは人に対して優越感をもったりしなくなる。真の愛が理解を呼べば、この理解が“霊的傲慢”という恐るべき落とし穴から人を救うのだ。

実在、真理、生命、神、永遠、全てを包み覆う愛―これらはみな、同じ一つのものだよ。真理をみつけることは君にはできまい。なぜなら、私的真理を掴んだ瞬間に、それはすでに真理ではなくなっているからだ。われわれは生きている限り、探求し続けなくてはならない。人生が決まり切ったものであれば、そこに何の意味があるだろう?人は人生に揺すぶられれば揺すぶられるほどよいのだ。決して満足に陥ってはいけない。特に自分自身に対して。

愛こそ指導原理なのだ。君が愛に忠実であれば、愛が正しい道をさし示してくれるのだ。


―チベットの隠者の言葉


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by yamanomajo | 2020-08-24 14:16 | 本・言葉