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生きがいについて / 神谷美恵子 3


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それまでそこで埋没して生きてきた社会や集団との間に距離をおき、そこで行われている価値基準をあらためて検討してみると、多くの場合、それはずいぶんいいかげんなものだったことを発見するであろう。習俗によって決められている価値基準にせよ、単に大勢の人が受け入れているから、ということだけで正しいとされていることが多いのではないであろうか。同じ事柄でも、時代が違ったり集団が違ったりすれば、もう違った基準で判断されているではないか。

こういうことで、社会からはじき出され、疎外された人の眼は鋭くその社会でのものの判断の仕方を批判し始める。それは破壊的な過程ではあるが、古い価値基準から解放されるため、それを乗り越えるためには、ぜひ通らなければならない過程である。

いずれの場合にせよ、価値判断の仕方をほんのちょっとずらすだけでも、ものは驚くほど違って見えてくる。健康な人、外観の美しい人が必ずしも人間として価値のある存在とはかぎらない。「教養」や「成功」や社会的地位が人間の価値を決めるものでもない。立派な夫や子を持つ主婦が必ずしも人間として値打ちの高い者とは決まっていない―



生きがい喪失の苦悩を経た人は、少なくとも一度は皆の住む平和な現実の世界から外へはじき出された人であった。虚無と死の世界から人生および自分を眺めてみたことがある人である。いま、もしその人が新しい生きがいを発見することによって、新しい世界を見出したとするならば、そこにひとつの新しい視点がある。それだけでも人生が、以前よりも“ほり”が深く見えてくるであろう。もはや彼は簡単にものの感覚的な表面だけを見ることはしないであろう。微笑みの影に潜む苦悩の涙を感じとる眼、体裁のいい言葉の裏にある“へつらい”や虚栄心を見破る眼、虚勢をはろうとする自分を滑稽だと見る眼―そうした心の眼はすべて、いわゆる現実の世界から一歩遠のいたところに身をおく者の眼である。

現実から一歩遠のいたところに身をおく、ということは、生物のなかでも精神能力が分化した人類だけにできることらしい。この能力によって人間はパスカルのいうように、たとえ宇宙に押しつぶされそうになったときでも自分を押しつぶすものが何であるかを知ることができる。動物のように現実に埋没して生きるのではなく、苦しむときには、その苦しむ自分を眺めてみることができる。











by yamanomajo | 2017-08-27 07:38 | 言葉