シモーヌ・ヴェイユという存在


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人間が存在する唯一の目的は、生きるという闇夜に火をつけることである。
―シモーヌ・ヴェイユ

おそらく私にとって最高の魂の友はシモーヌ・ヴェイユであるし、この生においてヴェイユの魂に出会わないということは決してなかったと思う。ヴェイユという存在、彼女が残した言葉に出会うことは生まれる前からすでに決まっていたような気がする。出会うべくして出会った、出会うことは最初から決まっていた、そんな感じがする。

人生とは・・・偶然に見えながらも実はすべて必然でできている。
出会うべき人、出会うべき言葉、出会うべき場所。
それは初めから、そうあるようにあり、そうならなければならないようになる。

なぜ彼女の言葉にこれほど深く惹かれ、そこにシンクロするかはうまく説明できない。魂の奥底のほうで強く共鳴し、つながっている何かがある。永遠の昔からの友のように。

誰にも言えない不幸。
苦しみの経験。
強いられる孤独。

運命。
必然。

消え去っていく自己。
消えなければならない自己。

無。
ただ無へ向かう力。


私は石のように、無でありたい。
無であるということは生きることを放棄することじゃない。
むしろその逆、卑しい自分(自我)を放棄することで、
一つの生命として本当の喜びや豊かさを持って生きるということ。

生きることに、自由であることに、喜びのなかに、「私」はいらない。
真の生も、自由も、喜びも、幸せも、豊かさも、すべて「私」の外にある。

私、私、私・・・心の中ではいつも私中心の力が声をあげている。
ヴェイユは「私たちのなかに、私、私、私と叫び続けている一匹の動物がいる」と述べている。
その動物の叫び声には何の意味もない、とヴェイユは言う。
苦しいのは私、悲しいのは私、傷ついているのは私、いつも私、私、私。
大事なのは私、大切なのは私、幸せになるのは私、どこまでも私、私、私。
そんな「我」にしがみつく、自分に執着する「私」なんていらない。

「私」こそ、生を闇夜に落とし、光を失わせる力なのだから。

そんな「私」を捨て去って、石のように無でありたい。

無であることは闇に落ちることではない。
生に光をもたらすことだ。

命とは、無であり全、全であり無。
無こそ光。

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by yamanomajo | 2018-06-13 07:49 | 思い