運命を知ること、愛すること


どんな人間にも運命というものがある。
すぺての人が運命を宿している。

そうあるべくしてそうあり、
そうなるべくしてそうなる。

自分の意志や選択というものではなく、
必ずそうならなければいけないものがある。


運命は苦しみや不幸を与える。
けれどその苦しみや不幸には意味がある。
意味があるからそれはその人に降り注ぐ。
意味のない苦しみも、意味のない不幸もない。

どんな形であれ、どんな方向であれ、
運命はその人の人生を変え、大河に浮かぶ船のように、
新しい地へと運んでいく。
人はその運命の力に逆らえない。
それは運命であるから。

運命とは、外部からやってくるものではなく、
自分自身の内に宿っているもの。
その人自体が運命だから、どこに行こうとも運命は共にある。
その人が、私自身が、運命そのものだから。

私たちにできることは、自分の運命を知り、それを受け入れること。
運命に逆らい、恨み、抵抗するのではなく、
運命を、あるがままの自分を、あるがままの人生を、すべて受け入れること。

運命との融和。
自分と運命とは別物ではなく、それは同じものであるということ。
自分とは運命であり、その運命は自分そのものであるということ。


一輪の花は、一輪の花として生まれた。それは運命。
花はそれに逆らわず、恨まず、抵抗せず、そのあるがままを生きている。
運命を受け入れようとすることもなく運命を受け入れている。
そうであり、そうあるしかないのだ。
一輪の花は、一羽の鳥になることはできない。


ただ、そうあること。
それは運命だから。
その運命であるということが、その存在の意味。
確固とした意味。
そこから何かを汲み取ること、見つけること。
気づくこと。
理解すること。

自分の運命を読み取り、自分自身を読み取り、自分自身と融和し、
本来自分がどうあるべき人間なのかを、
どのように生きるべきなのかを悟っていく。
無理なく、ごく自然に。


ギリシア語に“ステルゲイン”という言葉がある。
この言葉は“あきらめて運命にまかせる” “運命の甘受” “運命愛”を意味するという。

運命自体が自分自身であることを悟ること。
運命を愛するということ、それはほかならぬ自分を愛するということ。
運命を愛することは、自分の人生を愛すること。
喜びも、幸福も、自由も、自分自身との融和にある。

自分が運命と“ひとつ”であることを知るとき、迷いや疑いはなくなる。
迷いなく、疑いなく咲く一輪の花のように…

花が花でしかあり得ないように、そこに選択の余地はない。
運命とは、選択の余地がないということだ。
そうあるようにしかないのだから。
そうなるようにしかならないのだから。


起こることに意味がある。
そうあることに意味がある。
そうなることに意味がある。

何が起ころうとも、それをそのあるがままに受け入れること。
苦しみも、悲しみも、喜びも、幸せも。
運命は、留まらず、刻々と、流れている。生きている。
運命は「生」そのものだから。


運命を知ること。
自分を知ること。
運命で“ある”こと。
自分とひとつになること。

大地に咲く、小さくも力強い一輪の花は、
生をどう生きるべきかを人間に教えてくれている。


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by yamanomajo | 2018-07-05 12:12 | 思い