トンボの死


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冬の初め、畑で一匹のトンボを見かけた。
まるで天を拝むように、空に顔を向けて死んでいた。

虫たちの死にゆく姿はなんと静かで、純粋で、美しいのかと思う。
生まれ、生き、ただ死んでいく。
そこにはどんな迷いも、疑いもない。
死への恐れも、生への不安もなく、
ただ生き、ただ生きて、何事もなかったように死んでいく。

この一匹のトンボは、この世に生まれ、生きた。
死がやってきたから、死んでいった。
ただそれだけ。
生まれ、生き、死んでいく。
なんてシンプル。

この一匹のトンボは、子孫を残すことができたのだろうか。
それとも生涯ずっと一匹で、孤独で、
何も果たすことなく死んでいったのだろうか。

たとえ何事も果たすことなく死んでいったとしても、それがどうだというのだろう。
生まれ、生き、そこに存在したことが、その意味なのだから。
何事も果たすことがなくても、誰にも知られることがなくても。

生まれたということに意味があり、
生きたということに意味があり、
存在したということに意味があり、
死んでいくということに意味があり、
意味のないことなんて一瞬もなくて、
何もかもが意味に満ちていて、
その意味とは一匹のトンボであり、
私であり、あなたであり、すべてである。

意味とは、
花であり、草であり、虫であり、水であり、川であり、
山であり、森であり、大地であり、空であり、星であり、
私であり、あなたであり、世界であり、宇宙である。

すべてが意味であり、すべてが時を超えてつながっている。
限りないクモの糸のように。



虫たちの存在から、学ぶことがたくさんある。
命とは、生きるとは、死ぬこととは―

何事も果たす必要はない。
何も成し遂げなくてよい。
生まれたのなら生きて、
死がきたら死んでいけばいい。
限りない選択肢があるように見えて、命の一生は一本道。


トンボの一生は一年も満たない。
その生涯、一度も生にしがみつくことなく、
ただまっすぐに生きて、ただ存在して、死が来て死んでいく。
そこには“問題”というものがない。問いがない。
問いがないから、見つけ出すべき答えもない。

一輪の花には、問いもなく、答えもないように、
虫たちにも、問いはなく、答えもない。
本来の生の姿、生きる姿とは、問いがないということ。
答えがないということ。
探すべき答えは何もない。

生きるとは、ただ生きることであり、存在することであり、
死ぬとは、ただ死ぬことであり、
そこに、問いも、答えもない。
命とは、問わず、答えないもの。
命とは、ただ生きるもの。
虫たちの一生がそうであるように、
一輪の花がそうであるように。

問わなくていい。
答えを見つけなくていい。
何も探さなくていい。
命として生まれたからには、
命として生きて、
命として存在し、
命として死んでいけばいい。


命とは、ただ存在するだけで尊く、美しく、意味あるもの。
その一つ一つが、かけがえのない命の宝石。



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死にゆくトンボの、傷つき、露に濡れたその羽には、
大空のような限りない美しさがあった。

by yamanomajo | 2019-01-19 19:52 | 生き物

雪の多い北国で田舎暮らし。独りでいることから何かを見つける人生。カラスたちが友達。自然農で野菜作りをしています。


by yamanomajo