びろう葉帽子の下で / 山尾三省 詩集


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「ある夜に」

私の形而上学は
静かさと深さ にある
私の喜びは
静かさと深さ にある
私の光は
静かさと深さ にある
静かに深く ただそこにあれ




「じゃがいも畑で」

じゃがいも畑の畝にかかんで 草を取っていると
土が無言であることがよくわかった
土は無言で じゃがいもを育て 雑草を育て
私に語りかけていた
私も無言でその語りかけに答えていると
静かな幸福が私たちの間に流れた

僕は この人生で自分が幸福であれるとは思っていなかった
今でもそう思っている
幸福は僕のものではなく 神々のものであった

けれども
じゃがいも畑の畝にかがんで 草を取っていると
土が無言の幸福であることが よくわかった
土は無言で じゃがいもを育て 雑草を育て
私を育てていた
そこには 私という不思議な幸福があった




「土間」

土間というのは なんていいものなのだろう
家の中に土があるというのは なんと心が安らぐことだろう
二日前に
自分の心をつくづく調べてみて
自分が本当に求めているものは やはり深い静かさであると了解した
深いということは 土があることであった
静かさというのは 水が流れていることであった
人間の生活には
まずはじめに空気が必要だ それからきれいな水が必要だ
それから木が必要だ それから土が必要だ 火が必要だ
そしてそれだけあれば あとは何とかやって行けるものだ
これからの人間の生活は
ますます空気を汚し 水を汚し 木を伐りつくし
土をコンクリートに変え 火を核エネルギーに変える方向に進んで行くのだろうが
それは本当は人間の生活ではなくて
西欧文化という仮りの物の生活であったと
土間を眺めて焼酎を飲みながら つくづくと感じた
真理は外にあるのではなく
家の中の土間にある と つくづく感じた




「原郷の道」 

すべての道は 原郷への道である
なぜなら
すべての道は 私自身の自己へと至る道であるほかはなく
あなた自身の自己へ至る道であるほかは ないからである
私たちの道は 私たちの原郷への道である
原郷への道は
原郷の道にほかならない




「正座」

正座すれば
心がおのずから 澄んでくる
正座すれば
心はおのずから 静かになる
正座すれば
父があり母があり 神仏がある
正座すれば
そこに正座している 自己がある




「しみじみとしたもの」

しみじみとしたもの
それは 山道のすみれ草
それは 深夜の雨
それは わたくしの希う人間関係
しみじみとしたもの
それは ひとりで聴く川の流れ
それは 観世音菩薩
それは わたくしの希う人生




「ことば」

あなたは どんなことばが好きですか
愛ということば 恋ということばが好きですか
それとも 海ということば 山ということばが好きですか
それとも 商品ということばや文明ということば 国家ということばが好きですか
それともまた 原子力発電ということばや核兵器ということばが好きですか
わたくしは今
原郷 ということばと しみじみ ということばがとても好きです
原郷ということばには わたくしの光があります
しみじみということばには わたくしの涙があります
あなたはあなたで
わたくしはわたくしで もろともに
本当に心から好きなことばを見つけて
そのことばを大切にし
そのことばを生きて行くのが人間であり
人間社会であると わたくしは思います
あなたは どんなことばが好きですか




「夜の山」

夜の山というのは かぎりなく善いものだ
住んでみるとそれがわかる
夜の山は どっしりとしていて深く
神秘で
心を沈めてくれる
山に住み
山に見守られて暮らすということは
観世音に住み
観世音に見守られて暮らすことと同じだ
それほどに
夜の山というものは かぎりなく善いものだ
眺めていると
その上に またひとつ星が生まれでた




「水の音 その一」

水の音を聴きながら
水の音に溶けている
かつて私を導いた 寂しい西行法師の後姿は 今はもうここにはない
ここは水の郷(くに)で
水の音が法(ダルマ)である
生きている水の郷で 生きている水が法である
水の音よ
水の音よ
ここは静かさの郷で 静かさが法である
水の音を聴きながら
水の音に溶かされている




「水の音 その二」

秋のはじめの
淋しく豊かな水の音ほど
溶けてゆけるものは
これまでの私の生活の中にはなかった
秋のはじめの
淋しく豊かな水の音は
永遠そのものの 深い音であった
観音様と呼ぶまでもない
その音であった




「水が流れている」

山が在って
その山のもとを
水が 流れている
その水は うたがいもなく わたくしである
水が 流れている
水が 真実に 流れている




「畑 その五」

あなたにとって 最も親しいものは 土であった
そして 鍬であった
あなたは
太陽と土が大切にされるとき
土と水と樹木とが大切にされるとき
あらためて鉄の文明も大切にされるであろうと
あなたの書いた本の中に記した
一本の鍬
その鍬をにぎるあなたは 幸福であった




「たまご」

たまごは にわとりから うまれる
にわとりは おしりから ポトン とたまごをうむ
そのときにわとりは
せいせいしたように おしりをぷるぷるっとふる
そしてしばらくは
たまごのうえにすわっている
そのたまごに さわってみると 熱いほどにあたたかい
その熱いほどのあたたかさが
いのち なんだね
ぼくたちは そのいのちを たまごやきにしたり めだまやきにしたり
ゆでたまごにしてたべる
いのちが いのちをたべるんだね
そしてそれが おいしいんだね
そしてそれが かなしいんだね
ぼくは たまごやきやめだまやきがとてもすきだから
にわとりをたくさんかっている
にわとりをかうと
たまご というものが とてもたいせつだということが わかってくる




「ミットクンと雲」

だれもいない 山の中の畑で
ミットクンと二人で 青い空を見ていた
空には 白い雲がゆっくりと流れていた
青い空は いいねえ
白い雲は いいねえ
すると
その白い雲は 向こうの山の頂上に近づくにつれて
少しずつ夢のように 消えてゆき
山の頂上までゆくと すっかり消えてしまった
深い青空が あるだけだった
キエチャッタ と ミットクンが言った
きえちゃった と ぼくも言った




「秋」

存在の木の葉が
黄金色の陽を浴びて ふるえている
水は 流れてつきない
いちまいの木の葉は すでに地に落ち
落ちたことにより
梢にあるときよりも美しく 黄金色の陽を浴びている
存在の木の葉は
今が盛り
水が流れても 水が流れても
今が盛り
源の
黄金色の陽とともに ふるえている

存在の木の根は 土とともにある
土があり水が流れている
むろん 死がある
塩焼けた顔 塩焼けた眼 塩焼けた微笑
塩焼けた足が歩いている
土焼けた顔 土焼けた眼 土焼けた微笑
土焼けた足が歩いている
ここよりほかに 存在はない
土があり
水が流れている
存在の木の根は いのちとともにある



「いろりを焚く その二」

いろりを焚く
いまはひとりの百姓となって
この世に なんの楽しみがあるわけでもなく
静かに 静かに いろりを焚く
音もなく燃える 明るい火色の内には
それがわたくしである 喜びの時がある
わたくしの死のその時でさえも
わたくしをして想わしめるであろう そのわたくしが
明るい炎の内で燃えつきてゆく
夜ごとに行われる 死の練習
いろりを焚く
いまはひとりの百姓となって
静かに いろりを焚く
南無不可思議光佛を焚く




「いろりを焚く その四」

家の中にいろりがあると
いつのまにか いろりが家の中心になる
いろりの火が燃えていると  
いつのまにか 家の中に無私の暖かさが広がり
自然の暖かさが広がる
家の中にいろりがあると
いつのまにか いろりが家の中心になる
いろりの火が 静かに燃えていると  
家の中に無私の暖かさが広がり
平和が広がる
それは ずっと長い間 僕が切なく求めつづけてきたもの
家の中にいろりがあり
そこに明るい炎が燃えていると
いつのまにか その無私が 家の中心になる




「ヴァジュラサットヴァ(金剛薩埵菩薩)」

ヴァジュラサットヴァは 地の底の暗さの中にある
ヴァジュラサットヴァは
闇の中の光である
ヴァジュラとは金剛
サットヴァとは人間
人間の心の内深く在る
決して破壊されることのない 光そのもの
光としての 生命(いのち)
ヴァジュラサットヴァ
ヴァジュラサットヴァは
地の底の暗さの中に 在る
誰にも知られず
誰にも訴えず
ただ 光そのものとして 生命(いのち)として
暗さにおおわれ
むしろ 暗さそのものとして そこに在る
ヴァジュラサットヴァ
生命(いのち)という光
わたくしは 千回でも語るが
ヴァジュラサットヴァは 地の底の暗さの中に在る
その地の底を
水が 流れている
水が 真実に 流れている




「ひかり」

ひかり とは
生命(いのち)の もうひとつの呼び名です
生命(いのち)だけが
究極の 暗闇の中の ひかり です
暗闇の中を それで
水が流れている
水が 真実に 流れている
水は 暗闇の中の ひかり です




「五つの根について」

水は
水の真実を 流れている
土は
土の真実を 暖めている
樹は
樹の真実を 繁らせている
火は
火の真実に 静止している
そして大気は
大気の真実を 自ら呼吸している
そして あらゆるものを包み あらゆるものの底に
水が 流れている
水が 真実に 流れている




「森について」

森は
土と樹々をかかえて
沈黙しつつ 生きている
人は その森に帰る
森は
ひとつの大きな闇であり
慈悲である
人は そこに帰る
森のそこには
水が流れている
その水もまた 森である
人は そこに帰る その森に帰る




「存在について」

存在は
流れてやまない
水の真実 のように
しかしながら
存在は
静止してやまない
石の真実 のように
存在は
生まれて死ぬけれども
生まれもしなければ死にもしない
存在は それゆえに
ひとつの祈りの現われであり
祈りの姿である




「底」

底へ沈むと
そこに 深い水がある
その水が 流れている
その水を 大悲と呼ぶ
底へ沈むと
そこに 深い水がある
その水が 流れている
その水を 大慈と呼ぶ











by yamanomajo | 2019-01-22 19:22 |

雪の多い北国で田舎暮らし。独りでいることから何かを見つける人生。カラスたちが友達。自然農で野菜作りをしています。


by yamanomajo