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星といのちのうた 世界はうたでできている

志樹逸馬詩集


「すべて神様に」

わたしは すべて 神様におまかせする すべては神様のもの
わたしのすべては 神様からのあずかりもの
わたしは神様の召し使いにすぎない
わたしは 何も知らない
自分勝手な生き方をしないように 注意しなければならない




「園長さん」

あなたは
かがみかけた腰を四角ばらせてガクガクと歩まれる
友が義足をきしませてゆくように

あなたは
よく怒り よく泣き よく笑う
どの道をえらんだら楽に生活できるかなどと考えている暇はないと
すでに心にきめられた一条
ただ 前に進み ひるむところがない
あたかも
百年さき千年さきばかりをみつめているように

指が曲がっても
食物をかきよせるだけの動物になるな
人間の魂を開墾する鍬(くわ)をにぎれ
心の手は使えば延びる と
あなたは若い時から病者とともにみずからも
汗やどろにまみれることをとうとんだ

働くということが
ものをあたらしく生む
分ちあった苦労が
より大きな世界の明るさとして
病む身ながらともにほほえむ互のための住みよい里をつくるよろこび
わたくしたちはそれを
病苦や境遇をはるかに越えたひかりとして
はくぐみ育てることを覚えた
そこで初めて与えられるものの価値が見わけられるようになった
――生きていることが肯定され汚れた身にも有のあることを知った

いつかライ園も四十余年
早いものだ

今 あなたは
リューマチで手足がしびれ
頭髪も白くなられた
全身ゆすぶって歩む
いっそう熱いものをこぼしながら
しずかなほほえみのうちにライ者たちのかなしみをつき破る……
永遠にたゆまない若者の力を秘めて




「種子」

ひとにぎりの土さえあれば
生命はどこからでも芽を吹いた

かなしみの病床にも
よろこびの花畑にも
こぼれ落ちたところが故里(ふるさと)

種子は
天地の約束された言葉の中に
ただみのる

汗や疲れを懐かしがらせるものよ
黒土の汚れ
生きてさえおれば
花ひらく憧れをこそ持ってくる




「闇」

闇の中にも目をひらいていたいと思う
人はたいてい
目をつむる
眠る

だが
このしずけさの中にこそある
闇の声に
わたしは耳をすましたい




「花のことば」

わたしは花のことばをききたい
目をつむっても
実在するもののことばを

おまえを見つけたから
わたしはわたしを意識できるのか

わたしひとりを残して
生きものすべてが死んでしまっても
わたしはわたしを意識できるであろうか

とにかく
花は花であればよく
わたしはわたしであればいいのだ

わたしがなにも考えなくても わたしがいなくても
ただ花があればよい

花に
たれかが息を吹きこんでいるような気がする




「曲がった手」

曲がった手で 水をすくう
こぼれても こぼれても みたされる水の
はげしさに
いつも なみなみと 生命の水は手の中にある
指は曲っていても
天をさすには少しの不自由も感じない




「まよっても」

まよっても
人は
神にかえる




「朝」

海辺の芝草をサクサク踏んで
だれにも気づかれず
朝はやく 露にぬれたなぎさに 近よる

自然が だれにも 見られているという
意識をもたない
静かなすがたでいるところを
そっと 足音をしのばせて
近よって
ながめたい ながめる

わたしは この時 とてもうれしい
美しい 
なつかしい
幸福だと思う

わたしも
この世界にふさわしいものとして
ひとつの位置のあることを 感じる




「ライ者のねがい」

世界じゅうの人が……だれが……
そんな指の曲がった手なんか しびれた足なんか 切り捨ててしまえと どんなに言ったって
――この手を使わずに
  この足で歩かずに
どこに わたしの生きる道があろう

それより なぜ
四肢健全なあなたたちは 水爆や砲弾をつくり 不具者を増すことをやめないのでしょう
かつては 天刑とよばれ 不治の病といわれた わたしたちライ者も
いまは プロミン薬による回復治療によって 汚れた血液を洗われ
白衣の少女によって巻かれるホータイのあたたかみによってしずかな微笑を禁じえないでいるのに……

やめてください
ひとつの天 ひとつの地
ひかりと水と空気とにつながる
この呼吸に結ばれた人間の生命の中で
にくみあうことは

世界に……だれが
何を不必要だと言い切ることができましょう




「静けさの中に わたしは」

静けさの中に わたしは
生れる
へやがひらかれる
言語が出かけてくる

静けさの中に わたしは
生命を見つける
象(かたち)をきめる

静けさの中に わたしは
時間を越える 位置を越える
無限の花を咲かせる
どこまでも歩いてゆく

静けさの中に わたしは
はじめて ほほえみ
終わりを 眠る




「てがみ」

てがみを書こう
ベッドに寝ていてもペンは持てるのだ

神さまへ
妻へ 友人へ 野の花へ
空の雲へ
庭の草木へ そよ風へ
へやに留守をしている オモチャの小犬へ
山へ 海へ
医師や 看護婦さんへ
名も知らぬ人へ
小石へ

ペンをもってじっと考えると
忘られていたものがよみがえってくる
とても親しいと思っていた人が意外に遠く
この地球の裏側にいる人々がかえって近く
自分と切りはなせない存在であったと
気づいたりする

こうして 病室に入り
すべての人から遠ざかった位置におかれてみて
人は はじめて ほんとうのてがみを書けるようになる




「わたしはこんな詩を書きたい」

白いページをめくれば話しかけてくる
実在のことば
親しく 目の前に生きて
あたたかくにおう詩を書きたい
読む人に身近な置物のように
青空のように
草におきこずえにしたたる露のように
涼しいせせらぎのように
父母のように
夫婦のように
兄弟姉妹のように
ふんわりふくれて香ばしいパンのように
涙の詩を
笑いの詩を
ねむりの詩を
手にとって食べられる詩を
生命に酔える詩を
あなたがひとり散歩に出かけるとき
ポケットにすべりこませてゆける詩を
病床で口ずさめる詩を
石を割りつつうたえる詩を
あまり身近なので 読む人が
活字やインクのへだてを忘れ
空気のように呼吸し
血となり肉となり
生きる力となり
死のまぎわに ふと魂によびかけて
やさしく見送る
詩を書きたい

そんな詩集を ひとりでも多くの人に とどけたい




「毎日刻々」

毎日刻々
おれから何かがハガレてゆく
四十年汗を流してたがやし育て
この身につけたと思っていた
それらがまるで松の皮でも落すように
けずりとられてゆく
血となり肉となったと思うのはまちがいで
おれはもう何も持てないはだかなんだ
このからだのどこにひそんでいた汚れやチリなのか
消化しきっていたはずのものがことごとく
古びた廃品の役立たずになってしまっているのだ
大切にしていたもの
美しいと身につけていたもの
力だと思っていたもの
みなウロコをはぐように
このからだからハガレ落ちてくる
何もないと思うさびしさの中から
あとからあとから
毎日のように ハガサレル ハガレル ハガレテユク

もっとハガシテくれ




「丘の上には」

丘の上には
松があり 梅があり 山桃があり 桜があり
木はまだ若く 背たけも短いが
互いに陰をつくり 花のかおりを分ち
アラシのときは寄りそいあって生きている

ここは瀬戸内海の小さな島
だが丘の頂きから見る空のかなたは果てしなく
風は
南から 北から 東から 西から
さまざまな果実の熟れたにおい、萌えさかる新芽や
青いトゲのある木 花のことば を運んで吹いてくる

それは おおらかな混声合唱となって丘の木々にふるえ
天と地の間
すべては 光 空気 水 によって ひとつに
つながることを教える

風はあとからあとから吹いて来る
雲の日 雨の日 炎天の日がある
みんなこの中で渇き 求めているのだ
木はゆれながら考えている
やがて ここに 大きな森ができるだろう
花や果実をいっぱいみのらせ
世界中の鳥や蝶が行きかい
朝ごとににぎやかな歌声で目覚めるだろう




「わたしの小さい手に」

わたしの小さい手に
世界の大きい手の
そえられていることを
感じる

世界を見れば
わたしがどのように
つくりかえられてゆくかを
感じる

わたしを見れば世界が
世界を見ればわたしが
わかってくるように
思える




「成長」

生は
悲しみにしろ 喜びにしろ それを知るということ
死を知るということだ

人間が真実におのれを学びえたら
それは 成長をもって こたえられ
この地上に生きたことのしるしになるのだ




「わたしはいま」

わたしは いま
自分の生をじゅうぶんに学びえたら
死もまた 誕生と同じように
美しいもの とよろこべるはずだ
と思いはじめています

空気や 水や 花のように
日々の生活に 真実を盛り
血となり肉となる思想を
つちかいたいのです




「夜に」

おまえは
夜が暗いという
世界が闇だという

そこが
光の影に位置していることを知らないのか

じっと目をつむってごらん
風が どこから吹いてくるか
暖いささやきがきこえるだろう

それは
いまもこの地球の裏側で燃えている
太陽のことばだよ

おまえが永遠に眠ってしまっても
新しい光の中で
おまえのこどもは 次々に生まれ
輝いている 変らない世界に住むのだよ


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by yamanomajo | 2020-03-05 20:20 | 言葉