わたしは誰でもない あなたは誰ですか
あなたも 名無しさん ですか
それなら似た者どうしだわ
秘密にしてね みんなにいいふらされるから
お偉いさん になるなんて うんざり
おおっぴらですよ 蛙みたいに
名前をとなえつづけるなんて 六月のあいだ
ほめてくれる泥沼なんかに
…
これは手紙をいただいたことのない世界に
わたしが書いた手紙です
やさしくおごそかに
自然が話してくれた素朴な便りです
自然のことづけを
わたしがお目にかかることできない手に委ねます
自然を愛すればこそ どうか みなさん
わたしを やさしく裁いてください
…
わたしは荒野を見たことがない
わたしは海を見たことがない
けれども知っている ヒースの色あいを
大波の激しさだって
わたしは神さまと話したことがない
天国を訪れたこともない
けれども場所はよく知っている
まるで調べておいたみたいに
…
ひとつの心がこわれるのを止められるなら
わたしが生きることは無駄ではない
ひとつのいのちのうずきを軽くできるなら
ひとつの痛みを鎮められるなら
弱っている一羽の駒鳥を
もういちど巣に戻してやれるなら
わたしが生きることは無駄ではない
…
かみさま おねがい
わたしをとりこにしてください
でも ちかづくと いっそう
さびしさがつのりそう
…
夏のそらがみえる
それが詩である 本なんかにないのである
まことの詩は逃げる
…
さあ あなたをよこたえてねむりにつかせよう
あなたのなきがらをかみさまがおまもりくださいますように
もしもあなたがいきるならば めをさますまえに
あなたのたましいをかみさまがおつくりくださいますように
…
アテナイの若者よ 汝自身に
忠実でありなさい
そして神秘に
その他はすべていつわりであるゆえに
…
この世にいて 天国を見いださなければ
あの世でも見つからないはずだ
わたしたちがどこへ引越したところで
天使たちは隣りの家を借りるからだ
…
魔法は 歴史的に決着していないけれど
歴史もわたしも
必要な魔法ならすべて見つけている
身のまわりに 毎日でも
…
手紙とは地上のよろこび
神さまには届きません
…
在るものすべてが愛だということは
わたしたちが愛について知ることのすべてだ
それでもうたくさん 積荷の重さなら
軌跡の深さにあらわれているはずだ
…
幸福な人びとがことばを話しています
ありふれたうたです
でも寡黙な人びとが感じているのは
うつくしい言の葉

―
あなたはエミリ・ディキンスンを知っていますか。
ディキンスンは19世紀のアメリカの詩人です。1830年にニューイングランドの田舎町アマストの旧家に生まれて1886年にアマストの自宅で一生を終えた女性。…
ディキンスンは17歳のとき寄宿制の女子神学院を中途退学してから、人生のほとんどの時間を家族とともに実家で過ごしました。生涯をとおして何かの職業に就いたことも誰かと結婚したこともありません。30代後半になると白いドレスを着ることを好むようになり、めったに人前に姿をみせず、家を訪ねてきた人と部屋の扉をへだてて会話を交わしたというエピソードが伝えられているほどです。
長年にわたって、美しい庭のある煉瓦づくりの家にひきこもり、日常の家事の手伝いや趣味のガーデニングなどをして暮らすかたわら、窓から森がみえる二階の寝室でひとしれず自分のことばを紡いで詩や手紙を書きつづけました。(訳者「あとがき」より)
―