2023年 04月 16日
さようなら十七才 海と心の詩 / 高岡和子
多くの創作者が、自らの才能によって押しつぶされ、真理を求めて心を破壊していったように……。
幼ないころより詩を書くことに喜びを覚えた彼女は、詩人として生きていくことを決心した。誰にも明かすことなく、中学一年から高校二年まで詩作を続け、自分の苦しみや悲しみ、孤独感、そして喜びや感動を、心象詩としてノートに書き続けていた。そのことは家族すらも知らなかったという。
彼女は、心の叫びを書き残して、寒い冬の海に帰った。浜辺に置かれたノートは、見つかるまで、三日三晩、波風にさらされていたが、その内容は友人や兄妹らの手によって、遺稿集『雨の音』として発表された。
雨の音とは、中学三年のとき彼女が書いた詩だった。
「雨の音」ポトンとおちた瞬間に心もいっしょにふるえるような雨の音孤独を音にしたらこんなふうになるだろう (中三・六月)
彼女は、誰よりも深く孤独を歌い、誰よりも力強く全身で歓喜した。
あらんかぎりの言霊で、春の喜びを歌った。
「春が来た」ある日とうとう春がきたたしかに来た鳴りひびいて陽の光は空にこだました。若葉は空に舞い上った。木の根は地中で解きほぐれた。空気はさかんに収縮を起したあらゆるものの生命(いのち)は分裂し続ける細胞から細胞へと春の力はどこまでも広がってゆく私は感じる私の身体(からだ)にもはるの飛び火か移ったことをその火が情熱を燃していることをそのエネルギーの強大なことを春はたしかに来た春は私の身体(からだ)にも宿ったかけまわってそこ ここから吹き出した瞳孔から、口から春の分身は飛び出した春はきた春はとうとうきた (高二・四月)
そして、いま再び、彼女の鮮烈な詩が甦るときがやってきた。
傷口で風を感じるような鋭敏な彼女が、いまを生きる小さな詩人たちの胸に……。
・・・・・
「海」
なぜ
波がたつかって?
それは簡単
海は
地球の心臓だから
川は静脈
地球には
動脈がありません
その海を
今
じっと見ているのが
私です。 (中二・九月)
…
「空」
口でいえる深さとは
人間の深さだ
空は そんなものではない
空は 人間と同じではない
空は 空だけしか知らない (中三・二月)
…
「無題」
波の音だけが耳をおおい
風だけが私の手をとり
砂だけが意識し
空だけが見ている
けれど
波の音ははかなく
風は見えない
砂は無言で冷たく
空は遠い
空は遠い…… (中三・二月)
…
「午後の教室にて」
太陽は
空の青さにとけこんで
青い光で海を照らす
太陽は
光のつぶのかたまりだ
ほぐれて海へ
落ちていく
冷たい四角い教室から
太陽へ向って飛び出そう
瞬きながら落ちていく
光のつぶをつかむのだ (中三・九月)
…
「樹と少女」
あなたは樹。
わたしは少女。
あなたは知らないでしょう。わたしが毎日遠くから、あなたをながめていたことを――
あなたはまだ春の浅い頃、まっさおな幹や枝をあらわにしてなんだか恥ずかしそうでした。しなやかな枝。子猫の四肢のようでした。
ある日ふと気がつくと、天に向った瑞枝の一つ一つの先端に、やわらかな緑色のかたまりが、今にもこぼれ落ちそうにのっていました。
あなたは私が見ていることなど気にもせずおさえきれない何かの力に促されて、いつのまにか葉をのばし、すっかり立派な姿になっています。かくしきれない喜びを秘めた深い葉のしげり。風に吹かれるとさざめく葉の間から笑い声が漏れます。
あなたは知らないでしょう。
葉のかたまりが大きくなったと言ってはよろこび、こずえが少し高くなったといっては感激していた少女のことを。
あなたは知らないでしょう。
いまさらのようにあなたの姿の立派さに驚く少女がいることを――。 (高一・十月)
…
「無題」
世界一高い塔でも
空の上からみれば
針の頭だ
世界一大きい船でも
海に浮べれば
ただの点じゃないか
いくら大きい物を造ったって
どうってことないんだ (中二・七月)
…
「無題」
あの汽車に乗れば
どこか
どこかへ行けるのだ
そうしたら
海を
山を
空を見よう
そうしたら
砂の上に
草の上に
雲の下にねそべって
歌をうたおうか
地面や空に
とけこもうか (中二・九月)
…
「夜」
夜は
一人一人を暖かくつつむ
うるさい他人や
わずらわしい生活
すべてのものを
遠ざけてくれる
夜はやさしい
静かにやって来て
私のそばで見守っている
夜は大きなお母さんだ
その手の中にかくれて
私だけの世界を作ろう (中二・一月)
…
「無題」
人の顔を見たくない時
声を聞きたくない時
一人になれないとは
何と残酷な事でしょう (中二・九月)
…
「未来を作る」
私の未来はだれも知らない
それは私が作るものだ
私だけの力で 或いは他の人の力も借りて
しかしだれにも指図はさせない
受入れるのは忠告だけだ (中二・八月)
…
「強く生きよう」
強く生きよう。
何事にもめげず
何事にもたえて
強く生きよう。
大空にむかって
胸をはって
長い道をまっすぐに進もう。
いつかは来る。
遠い夢がかなう時が
明かるい希望で満ちる時が。
強く生きよう。
そうすればきっと
長い道でも疲れずに進める。 (中一・四月)
…
「無題」
ことりや子犬を見て
それを信じられる人間になりたい
とらやへびをみて
それを愛せる人間になりたい。 (高一・六月)
…
「祈り」
かみさま
わたくしは
どこから来て
どこへ行くのでしょう
かみさま
わたくしは
どうして生まれ
どうして死ぬのでしょう
かみさま
わたくしは
しあわせですか…… (高一・六月)
……
「雑草」
おまえは人には
顧みられない。
しかしおまえには
たくさんの友達がある。
ちょうとはち、
そよ風と大空。
人々からさげすまれ、
じゃまにされて
何度もくじけそうになった時、
これらの友達は親切に
はげまし、いたわってくれた。
そしておまえは咲く。
あらん限りの力を出して
あらん限りの希望をもって
おまえは咲く。
――春になれば。 (中一・四月)
…
「春と風」
強い風が吹くのは
春が力んでいるから
雪の下にうずまっていたその手足を
思いきり
光の中にのばしたいから。
風が桜を散らすのは
春が力んでいるから。
勢い余ったその力が
つい先を急いでしまうのです。
春がこんなに力むのは
次の季節を予期しているから。
夏がもっと荒々しいことを
よく知っているから。 (高一・三月)
…
真に孤独な人間は、みずみずしさを保つことができる。もし詩人なら、人間を超えたところで、かずかずの友情を結ぶ魅惑的な能力が残されている。
孤独な人間は、天文学者のごときものであり、その目は星にみちている。彼は一人ではない。だがもはや、崇高な友情しか持ちえないのである。
人々から離れたときこそ、友達は見つかる。
真の友達とはともにいる孤独な人たちだ。
(海辺に残されたノート・一月一日 ボナール「友情論」より)
…
心が最も孤独なとき、自分以外の内面に対する感受性が最も強くなる。そして、そのときあの青空に浮かぶ白い雲のように、はるか遠くを流れ去る “詩” の影を心に映すことができるのだ。また、その人間をはるかに超越した詩に対して最も謙虚な気持をもつとき、詩は自らその手を下して人の心を高みにまでひき上げる。そのとき、心に映った詩の影はことばとなって心の中に結晶する。
詩に対して謙虚になる――自分を思いきり小さくすること――自分というのは自我である。自我が消滅すると、おのずから心は透明になる。心の中に詩が充満し、詩の結晶が宝石のようにころがり出る――ああ、それが詩人の詩人たる境地、詩人の最も幸福な一瞬である。
(海辺に残されたノート・二月二日)
…
「無題」
月の光が
海の上に
尾をひいている
あの月を
あの海を
あなたもきっと見ていますね。
月は黄金色に輝く
あなたの目も
わたしの目も
黄金色に染まります
by yamanomajo
| 2023-04-16 11:43
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