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星といのちのうた 人生のすべてが祈りでありますように

独りだけのウィルダーネス―アラスカ・森の生活 / リチャード・プローンネク

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必要? 世の中のどれほど多くの人間がこの言葉に惑わされて、日々わずらわしい生活を送っていることか。人間は必要の概念をどんどん水膨れさせていって、いつの間にかあまりにも多くの物に依存する生活を作り上げてしまった。物だけではない。あまりにも大勢の他人にも依存しなければやっていけない生活になってしまっているのだ。もし人々が本当には必要としていない物を突然、自分たちの生活から閉め出し始めたら、国の経済はたちまちガタガタになり大混乱に陥ることだろう。「私は本当にこんな物が必要なんだろうか?」と自分に問いかけつつ身の周りを見渡したとしたら、家庭からどれほど大量のガラクタ類が放り出されることになるか。彼らが所有している大部分の物は、ちょっとした余分な快適さ、ちょっとした時間の節約のために存在しているにすぎないと、私は思う。

余計な物を欲しがらなければ、不足を感じることもない。私はこの土地の動物たちからそれを学んだ。動物たちは季節ごとに決まりきった物を食べて生きている。私のここでの食生活もあまりバラエティーに富んだ内容ではなかったが、毎度の食事がこれほど楽しく充実していた時期はかつてなかった。消化器系の不調は一度もなかったし、空腹が要求するままに旬の材料を簡単に調理しただけで、いつでもとても美味しく食べることができた。また、飲み物に関していえば、ホープ・クリークの水以上に好みに合うものはないし、肺いっぱいに吸いこんだ山の空気や掌にすくった甘い雪解け水が私の肉体と精神に及ぼす効果は、酒ビンの中身や妙な錠剤の比ではない。

距離もまた、私にとっては親戚のようなものだ。こういった場所に暮らしてみれば、あなた方にもすぐに理解できるだろう。下の湖の向こう端まで行くのに、カヌーで最低三時間はかかる。逆風と闘いながら漕ぎ進まねばならない時には、もちろんもっとかかる。私の小屋からそこまでの距離は八マイル半ほどだ。カヌーに船外機を取り付ければ楽々一時間以内に短縮できるだろうが、騒がしいモーターの音は自然の音をすべて台無しにしてしまう。

ハイウェイを疾走する車なら八マイル半の距離など数分間で走り抜けてしまうだろう。だが、その車を運転する者は、その間にどけだけのものを見ることができるだろうか? 時間を節約した代わりに、ゆっくり行けば体と心が感じたに違いない歓びを犠牲にしてしまうのだ。私のペースなら、さまざまなものを見たり感じたりすることができる。雨滴が水面に落ちてできる泡、湖の色を反射して青みがかった色に染まったホッキョクアザラシの胸。両手に広がる風景もアッという間に後方に素っ飛んで消えかかってしまうようなはかないものでは決してない。パドルひと掻きで11フィートの前進。私のペースは大体その線だ。自分の腕や肩や筋肉の動き、掌の中の擦り減ったパドルの柄の感触。そういったものを目安にするほうが、スピードメーターにちらちら眼を走らせながらぶっ飛ばしていくよりずっといい。

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人間は他の人間に依存して生きている。この土地で暮らしてみて、それは身にしみてよくわかった。誰もがどこかで他の人間の助けを必要としている。だが、それにもかかわらず、このごった返した地球上で自分にとって最良の友人といえば、やはり自分自身に他ならないのだ。

もし、ここで暮らしている間に重病に罹ったらどうしようかと、私はよく考えた。脚の骨を折ってしまったら? 大怪我をしたら? 虫垂炎になったら? きりなく湧いてくるそういう類の不安は、すぐに心から追いたてることにした。なぜ、まだ現実に起こってもいないことについて思いわずらわなければならないのか? これから起こるかもしれないことを不安がってばかりいるのは健全な時間の過ごし方ではない。人生の暗い影の部分ばかりを見つめて生きる人間は愚か者だ。潰瘍などというものも、たぶんそういった取り越し苦労のせいでできるのだろう。

世界から孤立する不安、時流に取り残される恐れ。そんなものはまるで感じなかった。ニュースはいつでも変わりばえのしない内容の繰り返しだ。同じような事件が違う人間たちの上に起こるだけにすぎない。私にとっては自分の身に起きることを十分に体験するほうが、見知らぬ他人に起きたことを読むよりもずっと重要だ。自分自身が新聞であり、ラジオなのだ。どう頑張ってみたところで、どのみち世界中のあらゆるニュースを見聞きすることなどできはしない。テレビのスイッチを入れた途端にアナウンサーや解説者がローカル、国内、海外とあらゆるニュースを際限なく吐き出してくる。新聞も同様のことをやっている。で、哀れな人間は、すぐにでも解決しなければならない自分自身のさまざまな問題に加えて、世界中が抱えた重荷まで背負わされてしまうというわけだ。

人間はほとんどどんな情況にもやがては慣れることのできる生き物だが、問題は人間が適応できる範囲を越えて、技術が先へ先へと進んでいってしまうことだ。このへんでそろそろブレーキをかけ始めるべき時が来ているんじゃないか、際限のない欲望に歯止めをかけて、世界の動きを緩くする時が来ているんじゃないかというのが私の考えだ。

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最も単純なものが最も大きな歓びを与えてくれることを、私は発見した。さらにいいことには、単純なものには大した金もかからない。そして、こちらの感覚にスンナリとなじむ。たとえば夏の雨の後で摘む素晴らしく大きなブルーベリーの実。たとえば広い公園のようなハコヤナギの木立ちの中を歩くこと。金色に光りながら風に震える木の葉ごしに青空を垣間見ること。濡れた靴下を脱ぎ捨てて乾いた新しいウールの靴下に履き替える時の気持ち。そして、たとえば凍りつく寒さの中から戻ってきて震えながら焚火で暖をとること。この世界にはまだまだそういったものが残されている。

世間で言われているような形のものが進歩だというのなら、私はそんなものが大嫌いだ。誤った進歩を見せつけられるくらいなら、世界の始まりを眼にしたほうがずっといい。

この古いスプルースの切り株に腰をかけて、私は実に多くのものを見た。実に多くのことを考えた。考えれば考えるほど、ここでの生活が豊かで素晴らしいものに思えてきた。犯罪の発生率は限りなくゼロに近い。病気になるとか風邪をひくということがどういうことなのかさえ私は忘れている。本当に必要でもないアレやコレやを押しつけられて、あげくに毎月どっと押し寄せてくる請求書の支払いで頭を悩ますこともない。交通費もかからない。二本の脚とカヌーがあれば、どこでも好きな所へ行けるのだ。

向こうの段丘の上に木の枝のような物が現われ、ジッと眼をこらしているうちにやがて例の見事な角を持った雄のカリブーが全身を見せた。彼はあそこで何を考えているのだろう? 降り注ぐ太陽を全身に浴びて寝そべり、口をもぐもぐさせて何かを反芻しながら、ただボーッとしているだけなのだろうか? それとも、彼も私と同じ感慨にふけっているのだろうか? 世界のホンの一点にすぎないこの土地こそ、自分にとってかけがえのない、最も大切な場所だと。






by yamanomajo | 2023-05-15 18:53 | 言葉