カテゴリ:思い( 5 )

シモーヌ・ヴェイユという存在


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人間が存在する唯一の目的は、生きるという闇夜に火をつけることである。
―シモーヌ・ヴェイユ

おそらく私にとって最高の魂の友はシモーヌ・ヴェイユであるし、この生においてヴェイユの魂に出会わないということは決してなかったと思う。ヴェイユという存在、彼女が残した言葉に出会うことは生まれる前からすでに決まっていたような気がする。出会うべくして出会った、出会うことは最初から決まっていた、そんな感じがする。

人生とは・・・偶然に見えながらも実はすべて必然でできている。
出会うべき人、出会うべき言葉、出会うべき場所。
それは初めから、そうあるようにあり、そうならなければならないようになる。

なぜ彼女の言葉にこれほど深く惹かれ、そこにシンクロするかはうまく説明できない。魂の奥底のほうで強く共鳴し、つながっている何かがある。永遠の昔からの友のように。

誰にも言えない不幸。
苦しみの経験。
強いられる孤独。

運命。
必然。

消え去っていく自己。
消えなければならない自己。

無。
ただ無へ向かう力。


私は石のように、無でありたい。
無であるということは生きることを放棄することじゃない。
むしろその逆、卑しい自分(自我)を放棄することで、
一つの生命として本当の喜びや豊かさを持って生きるということ。

生きることに、自由であることに、喜びのなかに、「私」はいらない。
真の生も、自由も、喜びも、幸せも、豊かさも、すべて「私」の外にある。

私、私、私・・・心の中ではいつも私中心の力が声をあげている。
ヴェイユは「私たちのなかに、私、私、私と叫び続けている一匹の動物がいる」と述べている。
その動物の叫び声には何の意味もない、とヴェイユは言う。
苦しいのは私、悲しいのは私、傷ついているのは私、いつも私、私、私。
大事なのは私、大切なのは私、幸せになるのは私、どこまでも私、私、私。
そんな「我」にしがみつく、自分に執着する「私」なんていらない。

「私」こそ、生を闇夜に落とし、光を失わせる力なのだから。

そんな「私」を捨て去って、石のように無でありたい。

無であることは闇に落ちることではない。
生に光をもたらすことだ。

命とは、無であり全、全であり無。
無こそ光。

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by yamanomajo | 2018-06-13 07:49 | 思い

人の世と私


心ひとり、自然を友に、孤独を友に、命と向き合って、
静かに生きていきたいと思う。

人の世のモラル、教育、常識、流行、伝統、
あらゆる集団的な思考、集団的な意識から離れて、
自分の運命に忠実に、まっすぐに、生きていきたいと思う。
自分に与えられた生を生き、自分だけの生を創造し、
自分が見出すことができる生と共に歩み、
静かな確信と喜びをもって生きていきたいと思う。

私に人の友があるとすれば、
それは人の世から離れて孤独の中で生を見つめて生きてきた人たちだけ。
会ったこともなければ話したこともないけれど、
目に見えない魂でつながっている人々。
時を超え、生の根底で手を携えている人々。
その人々の魂の声は、今、ここにある。

私にはこの世の友はいないけれど、魂の友ならいつでもいる。


生の運命は“孤独を生きろ”と言った。

生は孤独を強い、孤独を通して何かを伝えようとしている。
それは自分の生きる意味、この星に生まれてきた意味につながっているもの。
生の意味は言葉では言い表しがたいものだけど、
心のどこかで確信をもって分かるもの、感じられるもの。

私が生に何を期待するかではなく、
生が私に何を望んでいるかを知ること。
それが分かれば生に対して揺るがない確信が持てるはず。
生が望み、生が導き、生が運ぶままの生を生きればいいから。
私の意志とか選択ではなく、生それ自体が望むもの。
生の望み、導きを信頼して生きること。
すべて身を任せて生きるということ。


人生の変革は大衆や世間の中で起こるものではない。
変革とは常に自分の内部で起こるもの。
自分の内部で起こらなければならないもの。
それは大衆や集団からかけ離れた孤独の中で生じる。

社会が作り上げてきた様々なもの。
教育、常識、流行、主張、イデオロギー、政治、宗教、伝統―
人が敷いたレールのすぐそばに、まったく別の世界が広がっている。
脱線しなければ何も分からない。

社会に作られる人間になってはならない。
目に見えない他者に自分の人生を作らせてはならない。
すべてから抜け出すこと。目覚めること。
自分の足で立ち、自分で生を発見し、
自分を失わず、真実を失わず、
自分で見つめ、聴き、感じ、気づき、
日々を創造的に生きること。

自分にも分からない新しい自分を創造していける人生。
出会ったことのない自分、出会ったことのない世界に出会える人生。
未知の大地へと飛び立ち、限りない可能性を広げることができる人生。


すべてを空っぽにして、ただ「人間」から始めること。
大地に立つ、ただひとりの人間として。
宇宙に存在する、一つの生命として。

目を開けば、創造の世界が見える。
耳を澄ませば、命と宇宙の声が聴こえる。

ただ人間であること。
人間であることから始めること。
そこには生の限りない創造性がある。
とめどなく溢れる泉の水のように。

<時のはじまり>、それは創造の時であり、インディアンがあらわれた時である。そのころには、先生も指導者もいなかったし、学校もなかった。そこで私はたちは、振り返って創造というものを観察するしかなかった。私たちは自然を学ばなければなかった。自然を模倣しなければならなかった。私たちの文明のすべては、自然を学ぶことの上に築かれた。そういう人間たちが<時のはじまり>のころ、私たちの指導者になった。私たちの宗教ができたのも、このころだ。このような学びを通して、私たちは自分たちの生き方を作ってきた。
<時のはじまり>には、すべての生き物たちに、根源的な<生き方の教え>が与えられた。創造されたもののすべてが、今もそのときに与えられた<生き方の教え>を守って生きている。木も果物も、その教えをけっして外れない。同じ季節がくれば、木は必ず果物を実らせる。動物もけっして間違えない。動物たちも、自分たちが創造されたときのままで生きている。
では、こうして創造されたすべてのもののなかで、人間に与えられた<生き方の教え>とはなんなのだろう?
私たちは創造された世界を見る。・・・そこには、生命があり、円環があり、はじまりも終わりもない尺度がある。
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by yamanomajo | 2018-05-20 06:52 | 思い


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木になろう

語らず
思わず
考えず
迷わず

ただまっすぐに
そこに生き
そこに在る


木になろう

求めず
願わず
望まず
失わず

ただまっすぐに
そこに生き
そこに在る


木になろう

怒らず
恐れず
悩まず
悲しまず

ただまっすぐに
そこに生き
そこに在る


木になろう

ただひとり
誰にも知られず
誰にも語られず

ただまっすぐに
ひっそりと
しかし確信を持って
天に伸びていこう

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by yamanomajo | 2018-03-20 20:20 | 思い

永遠の昔から


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木に話しかける。
木が話しかける。
お互いが言葉のない言葉で。

木は人よりもずっと近しく親しい友のよう感じられる。

私と木は、永遠の昔からずっと一緒だったのではないか。
まだ宇宙が誕生する前、目に見えないもののなかで、
私と木は一つだったのではないか。
名前も形もないただ一つのものとして。

木が語る言葉は、私自身の言葉。
私が私に語りかける。
私が私に呼びかける。

“私はここにいる”


すべては一つ。
ただ一つ。

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by yamanomajo | 2018-02-03 11:50 | 思い

私が私を愛する愛


たくさんの友たち

窓辺にやってくる雀たち
野山に暮らすカラスたち
緑輝く草々
名も知らぬ花たち
静かに立っている木々
物言わぬ石たち
じっと見守ってくれている太陽
共に歩いていく雲たち
水のきらめき
雪の白さ
雨の音
風の音
夜の闇
月の光
星の瞬き…

みんなみんな友達
目に見えない空気ですら
深く親密な友になってくれる

友、という言葉は間違っているかもしれない
自然のすべて、宇宙のすべては
私が私に呼びかける声
個としてではなく全体として
一なる存在として

私は私自身を抱擁している




「自分たちはなぜこの宇宙にいるのでしょうか?
もし自分が太陽を生み出し、地球を生み出し、生命を生み出した、この宇宙のすべての元になる親のような存在だとしたらと想像してください。
そんな宇宙の気持ちになって、なぜ生命を生み出したのか、もし自分が宇宙だったら、果たして生命をこの宇宙に生み出すだろうか?と考えてみてください」

この問いに小学6年生のある女の子が語った言葉。

「もし私が宇宙だったら、生命が欲しい。
宇宙に生命があれば、宇宙に笑顔があふれ出し、宇宙は明るくなる。
でも、もしこの宇宙に生命がなかったら、そこは何もないさみしいところ。
だから、私は生命が欲しい。
宇宙には感謝する。生命が生きる場を作ってくれた。
私はこの世に生きられてうれしい」


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by yamanomajo | 2018-01-05 18:35 | 思い